純愛モラトリアム - 7/7

 この国には春夏秋冬っていうものがあって、それはもちろん本当なら順番にやって来るもののはずなのに今年はなぜだか夏の直後に冬がやって来たような感じで、まるで秋という季節が夏と冬による強烈な弾圧に耐えきれずぎゅうっと萎んでしまったみたいだった。急激な気温の上がり下がりはもちろん体調によろしくない。いったいどこにあったんだかもよくわからない季節の変わり目には当たり前のように風邪が流行し、さらに冷え込むころにはインフルエンザまで流行り出し、はたして今年の受験生たちは、頭の中はもちろん身体の管理も徹底して行わないと悲惨な目にあうこと請け合いって感じだった。
 で、我らが元総務管理会三人組はというと、世間の受験生たちの苦渋にまみれた血眼の攻防もなんのその、涼しい顔していつもどおりに勉強、勉強、勉強の毎日を送っていたかと思うとあっさり進学先を決めて、俺に大学受験というものへの緊張感をバッチリ失わせることに成功した。
 だからといってもちろん、なーんだ大学受験なんて楽勝じゃーんと考えるほど俺だってバカじゃない。進学するかどうかはともかく、総務管理会という宿題解決システムを失った俺の成績は下降の一途を辿っていてこのままじゃ色々ヤバいぞって感じだ。うむむ。ほがらかに合格を報告してきた藤原に電話口で俺は冗談半分、本気半分で「大学入って暇んなったらうち来て家庭教師とかしてくれよ」って言ってみるけど、藤原は苦笑い。
「ごめん、明日香ちゃんの家庭教師するって、もう前から約束してるから」
 頭の良いやつが頭の良いやつに勉強を教えてもらうなんて、世の中はなんて理不尽なんだろう……。
 でも藤原はそうやって卒業後、どうやら別の大学に行くことになったらしい吹雪さんとのパイプを、明日香を通してまだきちんと残してあるのだ。ってことはこいつ、吹雪さんとのことまだ中途半端にしたままにするつもりなんだろうか。卒業っていうひとつの区切りになにかしかの動きを見せるだろうと、俺はそんなふうになんとなく、勝手に思っていたんだけど。

* * *

 冬はこんなに長いのに二月はとても短い。気分次第で降ったり降らなかったりしていた雪が随分落ち着いてきて、それでもまだ寒さの続く三月。全国的に卒業の時期がやってくる。
 うちの学校は基本、一年生は卒業式に参列できない。総務管理会はもちろん学校行事となればいつでもどこでも駆けつけるのが仕事なので学年関係なく出席するけど、部外者の俺はその門出に立ちあうすべを持たないのだ。
 ま、そうはいっても校内に入ること自体は出来たんだろうけど、休みの日にわざわざ学校行くのは面倒だなっていうのが本音で、まだまだ冬の気配が色濃いその日、俺はお世話になった三年生たちを見送りに出ることもなく部屋でこたつと友情を深めていた。テレビでは俺と同い歳くらいであろう人気タレントが、やたらハイテンションでゲレンデを舞っている。それをぼんやりと眺めながら、いいなースキーやったことないんだよなー行きたいなーとか俺が考えているちょうどそのころ、卒業式の真っ最中に、吹雪さんは一世一代の大告白を見事に決めて、ようやくのようやくで藤原を頷かせることに成功していたのだった。
 めでたしめでたし。
 最後の最後でハブにされたような気もちょっとするわけだけど、その大告白の詳細に関して明日香は口を閉ざしカイザーは盛大に溜め息をついて、翔はぎこちない笑顔を浮かべ、万丈目はうわごとのように「さすが師匠」を繰り返すばっかりなので、どっちかっていうと見逃した俺はラッキーだったのかもしれない。当事者であるところの藤原は自分から進んで報告してはこなかったけど、噂を聞いた俺が電話をして「おめでとー」と言ってやると、それなりにしあわせそうに「ありがとう」とか返してくる。
 いやぁほんと、ばかばかしいくらい不器用で奇妙な恋愛の一端を垣間見た一年だった。長い長い遠まわりだったように思うけど、ま、これは一応ハッピーエンドってことで良いんだろう。
 人生なにごとも経験だなぁと考えつつ、とりあえず、あの二人が変なことにならずにくっついてすごせるなら、俺も恋愛恐怖症とかにならなくてすむはずだ。うんうん。

 で、春が来て俺は周囲の多大な協力と春休みの尊い犠牲をもってしてどうにかこうにか進級できて、二年生になったから後輩もできてなんか懐かれちゃったりとかしつつ、基本的には一年のときとそんなに変わらない生活を続けている。相変わらず授業はつまんないけど学校は楽しくて、翔とキャッチボールしたり万丈目からかって遊んだり、明日香も含めてみんなで昼飯とかいっしょに食べたり、べつに特別な事件なんて起きなくても面白いことは山積みだ。
 退屈で充実した毎日。
 だらだらと流れる日々は春の気配を終わらせつつあって、三階まで登らないと辿りつけない二年の教室にも随分慣れてきたころ、そういや校舎のガラス割って叱られたのって去年の今ごろだったなーなんて俺がぼんやり思いだしていると、突然藤原が行方不明になる。

 ある朝本当に突然明日香が鬼みたいな形相で「ちょっと良い?」とか声かけてきて、いったい何ごとかと慌てたらもうものすごい真面目な様子で、「十代、藤原くんがいまどこにいるか知ってる?」なんて聞かれて俺は思いっきり首を横に振る。藤原とは一週間くらい前に電話してちょっと喋ったっきりだ。
 え、なに、なんかあったの? とか聞かなくたって明日香の顔を見ればそんなの、なにかあったに決まっている。藤原は昨日の朝方に出かけたっきり家に帰ってなくて、ケータイかけても繋がらないし、心当たりのある場所だって探したけどまったく見つからない状態らしい。
 行方不明。
 っていうか家出。
 ええなにそれ、吹雪さんなにしてんの? って思うけど、もちろん今ごろ藤原探しに奔走しているに違いない。明日香はめちゃくちゃ気が立ってますって顔をしてるけど、怒ってるんじゃなくて心配してるのだ。弱気を隠すから恐い顔になる。騒ぎを大きくしすぎないために、っていうか、そう大した事態じゃないってことを自分に言い聞かせるために普通に学校に出てきてるんだろうけど、本当はいまにも教室を飛び出して探しに行きたいはずだった。授業中も休み時間もずっと落ち着きなくケータイをちらちら確認し続ける明日香を見かねて、俺は言う。
「藤原のことそんなに心配?」
「当たり前でしょう?」
 あなたは違うの? って顔で明日香は俺を睨みつける。言われてみればたしかに、俺はなんでこんなに落ち着いてるんだろう? 心配してないってことはないはずなんだけど、でも、どうだろう? 心配? 心配かなあ? たしかに藤原はときどき目に見えて不安定でわけわかんないこと言いだすし、実際俺も、そうそう、一年前に総務会室であいつと会ったとき、今にも窓から飛び降りるんじゃないかと思って慌てたんだった。そういうこと、つまり自殺とか、そうじゃなくても変にヤケになったりとか、しそうな感じがあるんだ。藤原には。
 明日香がこんなに思い詰めた顔をしているのは、たぶんそーいうイヤな想像を拭えないからで、藤原が吹雪さんと一緒にいてなにをどういうふうに感じてこんな行動に出たのかなんてもちろん俺にはわかんないけど、でも、明日香にはちょっと見えているかもしれないのだ。仲、よさそうだったし。
 で、そのうえで俺はどうだろう? 藤原のことはもちろん心配だけど、たとえば今ごろどっかの海の底に沈んでたりとか、遠い街のちっさい旅館で首吊ってたりとか、そういうことってありえるだろうか? いや、ありえるとかありえないとかじゃなくて俺に想像できるかってことなんだろうけど、っていうか想像なんかしたくないけど、うーん、いや、たしかにありえるのかもしれない。ありえるのかもしれないけど、でも、たぶんない。なんか、ないと思う。それが起こり得るんなら、たぶんもうとっくに起こっていたはずなのだ。俺が藤原と会う前、俺が入学してくるよりずっとずっと前に。
 だから俺はそこまで深刻には心配してなくて、まぁなんか、あいつのことだからどっかで適当に、それこそ廊下の隅で蹲るみたいに、その辺でうじうじしながらすごしてるんじゃないのかなーとか気楽に考えている。
 で、そんなふうに思っているとその翌日に、今度は吹雪さんが行方不明になる。
 おいおいおいおいって感じだけど、実際には行方不明とはちょっと違って、吹雪さんは藤原の居場所をつきとめてそこまで追いかけていっただけで、向かった先は北マリアナ諸島にあるなんか変な名前のちっちゃい島らしいのだった。
 島! 海外! どんだけスケールのでかい家出なんだよ!
 なんでもふたりは元々一緒に海外旅行に行く予定を立てていて、その聞いたことのない観光地は旅先候補としてパンフレットとか大量に入手してる状態で、それを捲って眺めていた藤原はある朝突然思い立って……かどうかは知らないけど、とにかく有り金はたいてツアーでもなんでもない片道だけの航空券を買い、パスポート片手に国外へと華麗に飛び立ったのだった。
 ちょっと正気の沙汰じゃない。
 もう呆れかえる以外になにをすればいいのかわかんない俺は、でもま、とりあえずこれで一件落着だろうと思って安心してもいる。吹雪さんが追いかけていったんなら、藤原はまぁ、多少ごねてもちゃんと戻ってくるはずだ。大体最初から予定の範囲に入っていた場所を選んでいるあたり、迎えに来てくれって言ってるようなもんじゃないか。
 藤原を無事に捕獲した吹雪さんからとりあえず何日か滞在してから戻るって知らせを受けて、ずっと般若みたいな顔をしていた明日香は今度はもう疲れきって怒る気力もありませんって感じで不憫だ。他人の恋愛に首突っ込むのなんて野暮だってヨハンは言っていたけれど、明日香にとって吹雪さんは他人じゃないんだから仕方ない。
 とりあえず藤原見つかってよかったじゃん~と有り体の慰めを口にする俺に、明日香は「そうね……」とやっぱり力なく返す。これはいざ藤原が帰って来たときにこそ怒り爆発するに違いないな……とひそかに怯えていると、明日香は嘆息して、「兄さんが悪いのよ」とか言いだすから俺はびっくりする。
 え、あれ、そうなの?
 これって吹雪さんが悪いんだっけ?
「兄さんが甘やかすから、全部許しちゃうからいけないの。藤原くんのためにならないわよ、こんなの。兄さんさえもう少ししっかりしていれば、今回の事態だって……」
「起きなかったか?」
「…………」
「あのさー、吹雪さんはたしかに藤原のこと甘やかしてるんだろうし、正直俺から見てても、何日も向こうに残ってまであいつのご機嫌とる必要あんの? って感じだし、ちょっとどうかなってとこあるけどさ、でもそうやって、藤原より吹雪さんをなんとかするのが先みたいな言い方も、結局藤原のこと甘やかしてんだって。そんなとこ兄妹で似てもしょうがないだろ? 心配なのはわかるけどさ、藤原のためにならないってんなら、お前からもちゃんと叱ってやれよ。なにしてんだバカって言って、引っぱたくくらいしてやったほうがいいと思うぜ」
 って、こんなふうによくわからない説教みたいなことを言いだしている俺もたぶん藤原を甘やかしているひとりで、こうやって明日香に偉そうに言いながらあいつを引っぱたく役を押し付けてるのだ。自分ではそんなことしないくせに。
 明日香はわかったようなこと言うなって怒りだすかなと思ったけど全然そんなことはなくて、それどころか目から鱗がおちたみたいな顔で俺を見つめて、それから図星ですって感じに黙り込んでしまって俺はなんか悪いこと言っちゃったなーって後悔する。明日香が感じ入っているほど俺は深く考えて発言してるわけじゃないんだ。実際には。
 さて、その日家に帰った俺は唐突に、藤原に電話をかけてみようと思いつく。
 家出中の藤原。いまはどっか遠いちいさな島の上で、たぶん吹雪さんと一緒にいる。
 俺は藤原に電話して、それでいったいなにを言うつもりなんだろう。よお久しぶりー元気? くらいしか思いつかない。明日香には叱ってやれなんて言ったくせに俺はたぶん自分では藤原を叱ったりしない。なにしてんだよこのバカー! 心配すんだろー! とか怒鳴ってやったほうがたぶん藤原自身も反省するだろうし、いやー全然心配なんかしなかったよーとか言われるよりよっぽど嬉しいんじゃないの? なんて思いつつ、でも、なんだ元気そうじゃーん、とか吹雪さんどーしてる? とか土産買ってこいよなーとか、そういうことしかたぶん言わない。それとも今のうちにあいつのためになるような言葉を考えて練習しておくか? でも嘘をつくのは得意じゃないし、藤原もそういうのには妙に敏感で簡単に傷つくから変な真似できない。大して心配してないのに心配させるなとか、俺には言えない。
 ま、悩んでもしかたない。とりあえずかけるだけかけてみよう、と思って俺はケータイを開いて藤原に電話。コール音は鳴らない。お客様のおかけになった番号は……ってお決まりの無機質なあれが聞こえてくるだけだ。
「…………」
 ま、そうだよな。
 よく考えたらあいついま海外にいるんだった。繋がるわけがない。
 俺は自分の間抜けを押しつぶすみたいに電源を押して、ちょっと考えて、メールを打ってみることにする。メールって苦手なんだけど、これなら送信してもどっかの電波の上で止まるだけで、藤原が帰ってきたときにはちゃんと向こうに届くだろうから、いまの俺のこのとにかく藤原になんか言わないとーっていうよくわからない焦りも解消できるはずだ。
 メールアドレスなら知ってる。
 俺はメール画面を睨みつける。
 明日香がすっごい心配してることとか、もちろん明日香以外もみんな心配してることとか、去年総務管理会室で藤原を見つけたときのこととか、あのときぶっちゃけえらいのと知り合っちまったなぁってちょっと後悔したこととか、吹雪さんのこと話してるときの藤原は正直たまにウザかったとか、でも勉強見てもらえてありがたかったし嬉しかったし、藤原の教え方はわかりやすくて面白かったからお前くらい頭良く生まれてみたかったなぁとか今もちょっと思ってることとか、実は藤原の下の名前をいまだに知らないままなこととか、そういうのを頑張って書き連ねてみる。俺に文才はない。なんか、ごちゃごちゃして読みにくい感じの文章しかできあがらない。
 それでもやっとのことで書き終えて、ひと息ついて、よしよしと思って読み返してみるとなんか死者への手紙っぽい感じがあってちょっとシャレになってなくて、俺は悩んだ結果それを削除した。ぐうう。やっぱメール苦手だー。
 でも仕方ない。俺はいま藤原になにか言いたい。
 もう一度メールを立ち上げて、ちょっと考えてから俺は「バーカ」と打ってみる。
 うん、かなり正直な気持ちだ。心配したとは言えないけど、バーカって言うことは出来る。ほんと、藤原はバカなのだ。わざわざ飛行機に乗って恋人からの国外逃亡なんて、バカ以外の何者でもない。卒業して高校生じゃなくなって世界が広がったのかなんなのか知らないけど、そんなワールドワイドな逃走スキル身につけてどうすんだよ……。大人しく今までみたいにどっかそのへんの、道端だか公園だかにしておけば良いのに。別に、無言電話かけてきたって俺は怒らないのに。
 ほんとに電波の届かない場所まで行ってしまった藤原は、でも、たぶんもうちょっとしたら戻って来るはずで、だったらそういう恨みごとは本人を目の前にして言うべきだ。俺はなんかひとりで納得してしまって、とりあえずその「バーカ」を送信することに決めたけど、これだけじゃあまりに殺風景だし俺が本気で怒っているように受け止められかねないなと思って、そのうしろに絵文字をひとつ入れておく。ちょっと拗ねたみたいな顔の絵文字。これでなんか、茶目っ気っぽいものが演出されるに違いない。マジで怒ってると思われてまた泣かれると困るのだ。
 よし。
 送信ボタンを押して、とりあえず一仕事終えた気分で俺はケータイをたたんで、溜め息をつく。はー。
 バカ藤原。
 早く帰ってこいっつーの。

 ところで俺は北マリアナ諸島というのがいったいどこにあるのかをさっぱり知らない。
 北ってついてる限りはたぶん地図の上のほうにあるんだろうけど、藤原と吹雪さんが滞在しているそのなんとかって島がどのくらいの規模のもので、どういった観光地なのかも全然わかってない。地理は苦手なのだ。ただ家出先に選ぶくらいだから、イメージ的には、飛行機で二時間くらいで到着できるわりと近所の島で、歴史ある建造物とかはないけど自然が豊かでこっちじゃ見かけない動物とかも多くて、のんびりした空気が常に流れてるような、そういう感じの場所なんだろうなーと勝手に思っていた。
 吹雪さんが藤原を追いかけていって二日目。とりあえず何日か滞在するって言ってたけど、いくらなんでももう藤原の機嫌だって直っているはずだ。そのなんとか島というのはそれほど見るものがある場所なんだろうか? 案外ホテルで退屈してたりしないだろうか? と、なんとなく疑問に思っていた俺は、休み時間に明日香と喋っているとき、吹雪さんたち今ごろなにやってんだろうなーと零してみる。そしたらなんと、意外な答えが返って来たのだった。
「さぁ……。たぶん、サーフィンとかスノーケルじゃないかしら?」
「……は?」
「もともとは国内でダイビングの資格を取ってから行く予定だったみたいだし、ひょっとしたら向こうでも潜ってるのかもしれないけど。あとはスパとか、マッサージとか……。リゾート地だもの、遊ぶところなら山ほどあるんじゃない?」
「…………」
 なんか、ちょっと、思っていたのと違う。リゾート? スパ? え、そっち系の島なの?
「えー、待って、あいつら行ってんのって何島だっけ?」
「? 兄さんが藤原くんを見つけたって報告してきたのはマニャガハ島だけど、でもあそこは無人島だから、泊まってるのはたぶんガラパンのホテルのはずよ。島でいうとサイパンね。北マリアナ諸島、サイパン島」
「サイパン!?」
 グアムとかサイパンとかの、あのサイパン!?
 なんだよそれ、ええ、じゃあもうそれって家出っていうか、完全に観光じゃん。サーフィンとかスノーケリングとか、ただの旅行じゃん。と、俺はかなりびっくりするわけだけど、でもまあ、そういえば最初から旅行で行く予定の島だったのだ。それにしたってリゾート地……それもスキューバダイビングを楽しむつもりで……。大学生ってすげえ……。
 びっくりついでに俺はパソコンを使う授業のときに、明日香の言ったマニャガハ島を検索してみる。たくさんの旅行会社のサイトが引っかかって、そこに載った写真の全部にちょっとありえないくらい青い、っていうか緑っぽい色のすっごいキレイな海が写っていていよいよ驚く。なんだこれ! 藤原のやつこんなキレイな海に囲まれた島を逃亡先に選ぶなんてなに考えてんだよ!
 このやたらキラキラした、透き通るようなキレイな島に吹雪さんと藤原はいるのだ。今この瞬間にも、スノーケルつけてサンゴとか魚とかと遊んでるかもしれないのだ。そう考えるとなんだか急にテンションがあがってきて、俺はすぐ隣の席で授業を受けている翔とその奥の万丈目にモニターを指して言う。
「なあ、なあ、卒業旅行にここ行こうぜ。藤原や吹雪さんに連れてってもらって案内してもらえばガイドとか要らないし。ちょっと、っていうかめちゃくちゃ高いけど、せっかくの卒業旅行だし奮発してさぁ」
 けど俺のその提案に、翔は不安そうな顔をして、万丈目は呆れた顔をした。
「……アニキは卒業出来るんスか?」
「そんなことより三年に無事進級する方法を考えろ、このアホ」
 費用を工面する問題よりもはるかに高くそびえる壁が、ふたりの目には見えているようだった。
 いや、いやいや、さすがに卒業は出来るはずだ。出来なきゃ困る。うう。

 そのさらに二日後の夕方。滅多に鳴らないメール受信音がポケットの中で高らかに響いたけれど、下校中の俺はそれに気付かない。
 ひとりでCD屋に寄ってから久しぶりにヨハンのとこに顔を出して、ゲーセンの隅で適当に喋ってたらいつの間にか外は暗くて、帰りの夜道をやっぱりひとりでぶらぶら歩いている途中でなんとなくケータイを開いてようやく、俺は受信箱にメールが届いているのを見つける。あれ、いつの間に来てたんだろう? って考えるよりさきに、送信者名に藤原って表示されてるのを見てどきっとする。
 藤原だ。
 戻って来たんだ。
 俺がメール送ったから、律儀にメールで返してきたのか。なるほど。正直俺は自分で送りつけた「バーカ」について今の今まですっかり忘れていて、ああそういやそんなメール送ったっけなって感じで、そう考えるとあの死者への手紙っぽい長文メールは削除しておいて正解だったのだとしみじみ思う。だいたいあんなキレイな海で遊んでるような相手に、今まで楽しかったぜありがとう的なメール送りつけてどうするっていうんだ。
 叱るでも励ますでもなく、ただとりあえず罵っただけの俺の一言に、いったい藤原はなんて返してきたんだろう。
 メールは基本的に返すばっかりで自分から送ることってほんとに珍しくて、だから返って来る内容を心待ちにするって経験を俺は全然したことがない。思ったよりドキドキするもんだなーと思いながら、受信ボックスを開いてメール本文を開いた俺は、でも、そこに書かれてる短い一言に盛大にガッカリした。
《ごめんなさい。》
 簡潔っていえば簡潔すぎるけれど、妥当といえば妥当以外のなにものでもない返事だった。
「バカ」に対する「ごめんなさい」だ。俺の怒りを受け、自分の非を認めて謝罪の言葉。うん、間違ってない。間違ってないけど、なんか、ええ、なんだよそれだけ? って感じのそっけなさである。
 だいたいこっちは気を使ってカワイイ絵文字とか入れてやったのに、藤原からはまったくなんの装飾もないほんとうに六文字だけで、これじゃあ本気でへこんでるのかなんなのかさっぱりわからない。単調な文字での一言ずつのやりとりじゃ、藤原が泣いてるんだか笑ってるんだかまったく見えない。
 いや、泣いてはいないだろうけど。
 泣いてなきゃ良いと思う。
 俺はちっちゃい画面のうえに並んだ《ごめんなさい。》をじっと見て、そこに藤原からのなんかメッセージ的なものが含まれているんじゃないか? とか考えてみるけれどもちろんそんなもの隠されているわけがなくて、だから結局メールは閉じて、代わりに電話をすることにする。
 もう陽はとっぷり暮れているけれど、迷惑になるほどの時間じゃない。そもそも迷惑電話っていうなら俺はもう充分藤原から被害を受けているので、多少非常識なことをしても許されるはずだった。
 藤原からの無言電話は、結局夏休みが終わってからはもう一度もかかってきていないけれど。
 右耳のすぐ近くのところでコール音が鳴る。藤原はもうちゃんと、電波の届くところに帰って来てる。
 街灯ばかりが明るい夜の帰路はまだちょっと肌寒くて、俺はケータイ持ってない左手をポケットにつっこんで歩きだす。別に用事があるわけでも、言いたいことがあるわけでもないけど、遠いとこから帰ってきた友だちに、おかえりって一言伝えるために。

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