純愛モラトリアム - 1/7

 下校時刻過ぎの特別教室練はもうほとんど落ちかけた夕陽に沈んでちょっと気持ち悪いくらい静かで、その四階のド真ん中にある総務管理会室の扉の向こうに幽霊が突っ立ってて俺はびっくりして硬直する。
 幽霊っていうのは別にそのものオバケってわけじゃなくて、つまりなんか、ヤバイものを見つけた! って感じでほとんど直感っていうか虫の知らせっていうか、とりあえず俺はこれ以上ここにいちゃいけないっていう警鐘を真正面から視界で受け止めて、おおお? と思いながらとりあえずぽかんと口を開けて目を丸めていた。
 総務管理会っていうのはいわゆる生徒会みたいなもので、学内で選りすぐりの優秀な生徒が学校全体のあらゆる行事を取り仕切るために集められる勝ち組組織だ。本来なら俺なんかが立ち寄るような場所じゃない。特別教室練はその名の通りに特殊な教室ばかりが集められた校舎で、普通の生徒が普通に授業を受けるための棟とはそもそも異なっているから、四月に入学したばかりの俺ははじめてこっちの校舎に足を踏み入れたといっても大袈裟じゃないくらいだった。
 まだ夏より春に近い季節のはずなのに日中の日差しを吸い込んだ廊下はじんわりと暑くて、汗が噴き出すほどではないけどなんとなく息苦しい。放課後をまるまる潰して書かされた反省文を左手で大雑把に握りしめて、一般校舎から遠く離れた総務管理会室のドアをノックもせずにがらりと開けた俺を出迎えたのは、幽霊みたいに青い顔をしたひとりの男子生徒だった。
 名前は知ってる。総務管理会なんて集団の顔と名前なんて普通は覚えないけど、会長をやってるのが友だちの翔の兄ちゃんで、副会長をやってるのがやっぱり友だちの明日香の兄ちゃんで、そのせいで俺は総務会のメンバーと顔を合わせたり昼をいっしょに食べたりする機会がこの一カ月ちょっとで何度かあった。だから、名前は知ってる。
 藤原だ。
 下の名前は知らない。一回くらいは聞いたことがあるのかもしれないけど、誰も呼ばないから覚えてない。
 おそらく普段は会議室みたいにキッチリと揃えられているはずの机と椅子がなぜか思いっきり散乱した部屋の中で、藤原はなにをするでもなくぼんやりと佇んでいる。その姿が、なんか髪型とか不自然に乱れてて、まるで知らない男に突然乱暴されて呆然としている女の子みたいな感じで、俺はそんなふうに思う自分の発想にもちょっとびっくりして言葉を失う。状況はよくわからないけど変な場面に出くわしたのは確かで、うわ、どうしよう、と思う。
 総務管理会室に用があったわけじゃなかった。昨日の放課後うっかり校舎の窓ガラスを割った俺に課せられたのは、原稿用紙二枚分の反省文とこの先二週間のトイレ掃除だけだ。わざわざ総務管理会室にまで反省文を持って行って会長の捺印を貰ってくるように言いつけたのは先生の気まぐれっていうか嫌がらせみたいなもんで、こんな下校時間を回ったタイミングに行ってもどうせ誰もいないんだろうと俺は正直思ってた。本校舎から離れた特別教室練の遥か四階まで思う存分無駄足踏んで職員室までトボトボ戻って来るが良いノーネって先生の顔には書いてあったから、俺は総務管理会室のドアをノックしなかった。壁の向こうは無人で、そこにはしっかり鍵がかかってるものだと思ってたのだ。
 ガラリと音を立ててあっけなく開いた扉の向こうは思った以上に広くって、その四角い囲みの隅のほうで虚ろにどこか遠くを見てる藤原は本物の幽霊か、あるいはこれから幽霊になろうとしている人みたいだ。
 もしもここが屋上だったら、早まるなって叫んで慌ててあいつを取り押さえていたに違いない……。ってなんとなく思って、いやいや待てよ、ここ四階じゃん立ち入り禁止の屋上の次に高い場所じゃん、と気付いた俺の視界に飛び込んで来たのは藤原のすぐそばで思いっきり開いて風とかびゅうびゅう吹きこんでるでっかい窓で、いっぺんに背筋が寒くなる。うわあって思った次の瞬間に俺は室内に飛び込んだ。駆け足で窓辺に近寄って、素早くそのガラスの枠を引っぱって閉めて施錠する。建てつけの良い窓枠は大きな音を立てることなく、なにごともなかったかのようにピタリと閉ざされた。よしよし、これでもう飛び降りることはできまい。
 いきなり現れて挨拶もなしにただ窓だけ閉めて一安心している俺を、藤原はちょっと驚いたふうに見つめていた。なにしてるんだろうこの子、みたいな不思議そうな顔。
 それはなんというか、言葉にはしづらいけれど、どうも自殺とかしようとしている人間の表情には思えなかった。廊下から見たときの藤原は勢いで窓から飛び降りてそのまま死んでしまいそうだったのに、近付いてみると決してそんなことはなくて普通の先輩で、俺はああ良かったーって安心しつつ、勝手に一人で慌ててた自分が恥ずかしくなってきてその羞恥をごまかすために笑顔を浮かべてみた。めちゃくちゃぎくしゃくしたスマイルを向けられて、もちろん藤原は笑いかえしたりしてこない。自殺なんかしないけどその代わり現実にもあんまり興味ありませんって感じで、俺のことを見てるふりをしてもっと別のどこかに視線をやってるような感じがする。おいおい大丈夫かよ、と俺はまたしても不安になる。なんか焦点合ってなくない?
「え、えーっと、あのさ、平気?」
「…………」
「俺のこと覚えてる? 遊城十代、一年の。なあ、なんかあったの? これちょっとヤバイって、見た感じ。部屋荒れてるし、なに、だれか変なヤツでも来て暴れた? 顔色悪いけど、どっか怪我とかしてんの?」
 先生呼んでこようか? と言いかけてやめる。なんか子どもっぽいし、藤原は平然としてるけどやっぱりどっかおかしいように見えて、それが職員室から連れてきた大人によってなにか解決されるようにはなんとなく思えなかった。だからって俺になにか出来るわけもなくて、藤原はやっぱり俺の顔を通してどっか明後日の方向を見たまま黙り込んでる。どうしたもんかなこれ。
 俺は制服のポケットに放り込んだままにしてるケータイの存在を思い出して、そうだこれで藤原のことよく知ってるヤツ呼び出して、このなに考えてるんだかよくわからない、あんまり喋ったことのない先輩をどうにかしてもらおうと思いつく。総務管理会が今日の放課後執務を行っていたのなら、きっと解散してそう経っていないはずだ。ひょっとしたらまだ校舎の中にいるかもしれない。
 連絡候補は二人いて、っていうかカイザーか吹雪さんの番号しか俺は知らないわけだけど、どっちにすべきかを考えてすぐに結論を出す。カイザーは寄り道とかしないでまっすぐ帰宅してそうだからダメだ。吹雪さんにしよう。
 右ポケットからケータイを取りだして、でも、あ、大きなお世話だったらどうしよう、と考えなおす。ついさっき恥ずかしい思いをしたばかりなんだから、もうちょっと冷静になって良いはずだ。でもそういうふうに勘違いしてしまうくらい藤原のようすはやっぱりおかしいから、出来れば放って帰ったりはしたくない。
「なあ、俺じゃ話にくいだろうし、吹雪さん呼んで来てもらうけどそれで良いよな?」
 駄目だとは言わないだろうと思った。藤原とは本当に顔見知りって程度で会話らしい会話なんてしたことなかったけど、吹雪さんと一緒にいるのは何度か見かけてるしたぶんすっごい仲良いはずで、吹雪さんだって藤原のようすがおかしいことを伝えれば、たとえもう家に帰ってたとしてもきっと学校まで戻ってきてくれる。吹雪さんってたぶんそういう人だ。
 でも俺がそう言ってアドレス帳を開くのと同時に、藤原はものすごい素早さで俺のケータイをひったくって、あろうことかそのまま宙に放り投げた。ひゅんっと空中を落下してがつんって硬い音をたてて床にぶつかる俺の大事な携帯電話。なにが起きたかわからなくて唖然とする俺に、藤原は相変わらず青い顔で、でもはっきりと「だめだ」と言った。この部屋で藤原の声を聞くのははじめてだった。
「だ、だめだ、吹雪は、吹雪はだめ」
「…………」
 必死というか決死というか、ものすごい顔で藤原はそう言って、俺より随分高い位置にある顔をくしゃっと歪めた。なにかものすごく恐ろしい敵と対面でもしているかのように、ぎゅうと唇を噛んで足元を睨みつけている。それで俺は、ああこの机とか椅子とか倒れて誰か暴れたみたいになってるのはこいつがやらかしたんだと気付く。俺の中での藤原って三年生は、生真面目なカイザーと陽気な吹雪さんのうしろで静かに控えてたまに苦笑いとかしてる穏やかな優等生って感じの印象で、なのにこんなふうに物に当たったりする癖があるとは意外だった。混乱するとちょっと変になったりする人って本当にいるんだなぁ。俺の携帯電話……。
 藤原は相変わらず血の気の失せた顔色のままで黙り込んでて、俺はもう、平気? とかどっか痛いの? とか訊ねる気にはちょっとなれない。いくらなんでもそこまで鈍感じゃない。
 吹雪さんとなにかあったんだ。
 喧嘩でもしたんだろうか。わからないけどどうも不穏な感じなのはたしかで、それはたぶん俺が首を突っ込むようなことじゃない。上級生の、それも学校を代表するような立場の人たちの争いごとに巻き込まれて、出来ることなんてあるわけがない。だからといって青い顔で俯いている藤原を放って、ケータイだけ拾ってそれじゃー俺帰りまーすって逃げ出すわけにもいかない。そんなふうに軽々しくなにか言えるような雰囲気はかけらもない。
 体感的にやたらと長い沈黙をすごしてから、藤原は突然ふらりと身をかがめて俺のケータイを拾い上げて、ごめん、と言ってそれを俺に手渡した。「ごめん、壊れてたりしたら、ちゃんと弁償する……」
「あ、うん、たぶん大丈夫だけど」
 藤原は無表情でなんか呼吸とか忘れてる感じで、俺はそれがちょっと怖くて、また放り投げられたらやだなって思うから受け取ったケータイをすぐにポケットにしまい込む。うー、なんか、もういいや。このまま帰ろう。そんで、部屋に戻ってからだれか、明日香は吹雪さんの妹だし翔はカイザーの弟だし万丈目は吹雪さんと妙に仲がいいから、ええと、だれか、だれかこの事態にまったく関係のないだれかに電話でもしよう。
 さっさと帰ってどうでもいい話をして、この妙な空間と妙な先輩のことを忘れてしまいたい。
 って思ってるはずなのに、でもなぜか俺はそうしなくて、ついさっき自分で封印したはずの問いかけをもう一度藤原に向けてしまう。「なあ、ほんと、平気? なにがあったんだよ」
 あれ?
「っていうか、平気じゃなさそうだから聞くんだけどさ、人を呼ぶのがダメならなんか、んーと、俺に出来そうなことってある? いや、邪魔なら帰るけど、でもたぶん」たぶん、なんだろう、たぶん。「――愚痴聞くくらいなら出来ると、おもうし」
「…………」
 藤原はやっぱりこの子なに言ってるんだろう? みたいな顔をしてるけど俺だってそれはいっしょで、つまり俺はいったいなにを言ってるんだろう? って自分でも思ってて、でもなんか口が勝手に動いてるんだから仕方ない。ついでに手も動きだして、その辺に転がった椅子とか傾いてる机とかを適当に元通りっぽい位置に戻したりしはじめる。いや、これはでも、普通のことだよな。散らかったものを片付けるのは人として当然だ。
 総務管理会の机とか椅子とかはなんか普通の教室のとは違ってけっこう高級そうで、椅子は一応パイプのやつだけどそこに敷かれたマットときたらビックリするくらいふかふかしてる。カイザーや吹雪さんや藤原や、あと他のよく知らない総務委員会の所属の先輩たちは、普段これに座っていろんな学校行事の運行に関する会議とかをしてるんだろう。むつかしい顔をして。でも俺の知ってる吹雪さんはだいたい笑顔で、むつかしい顔とかあんまりしなくて、どっちかっていうとバカっぽくて変な人でなんとなく身近で、だから藤原に、なに言ったかは知らないけど、こんな机とか他人の携帯電話とか乱暴に扱わせるようなこと言い残してさっさと一人で帰ってしまうようなイメージはまったくなかった。うん、意外だ。でも友だち同士の諍いなわけだし、状況の背景を知らない俺が意外に思ったって仕方ない。人それぞれ、色々あるんだろう。
 そんなこと考えながら、でも頭の片隅では、あーもーなんで俺さっさと帰らないんだろーって思いつつ、とりあえず散乱した室内を適当に片付けていると藤原が言う。
「……吹雪が」
 お、と俺は思って手を止める。藤原に視線をやる。やっぱりどっか別のとこ見てる人形みたいな感じの藤原は、もうだいぶ陽の落ちた学校の中で佇んでるとほんとに幽霊っぽくてホラー映画のワンシーンみたいだ。どこから見ても普通じゃない。普通じゃないけど、でもそこにはもうさっきみたいに今にも窓から飛び降りそうな気配はなくって、どっちかっていうとそんなパワーもうどこにも残ってないですってふうに感じる。とりあえずまっすぐ立っている。ただ、座るためのエネルギーがもうないから立っている。藤原は空っぽだった。
 でもその、吹雪が、って声だけはしっかり感情的で、べつになにか聞きだしたいってわけではなかったんだけど、藤原は俺に向かって口を開く。愚痴くらいなら聞ける、なんて気易く声をかけてしまった俺に向けて、吹雪が、と言う。
 その先の言葉を聞いて俺は、それはもう、とてもとても、後悔するのだった。
「……吹雪、が、好きだって、俺のこと」
 空っぽの藤原のなかになんか変な要素が放りこまれてどんどん膨らんで飽和していってるのが目に見えてわかる。好き、って部分だけ妙に上ずった声で言って、まるでその言葉の裏っ側に史上最悪の敵が潜んでるかのように藤原は身震いした。青白かった顔色にはいつの間にかちょっと赤みがさしていて、でもその根源はたぶん羞恥じゃないはずだ。全身こわばってガチガチに固まっている藤原は寒いのか暑いのか見た感じじゃ判断できない。けど、寒いわけがないのだ。俺が窓を閉じてしまったせいで室内は妙に蒸しっぽくて空気が澱んだ感じがする。
 なんかえらいことを聞きだしてしまったぞ、と俺は俺で正直パニックで、でもここでそんなこと俺に言われても知らねーし! って放りだすのはあまりに無責任なように思えた。話聞くって声かけて近付いたのは俺の方だ。うわー、バカだー。なんであんなこと言ったんだよ、さっさと帰れば良かったのに!
「……えー、っと、嫌なの?」
 いや男同士でそういうのはやっぱり変っていうか、まあ、普通の事態でないことは確かだし、そこはもうプライベートな問題だと思うから、俺がどうこう言うことでもないんだろうけど、でも、その嫌悪はそんなふうに恐怖と絶望を無理やり噛みこんで飲みほしたみたいな酷い顔をしなくちゃならないほどのものなのか? こうやってそこら中のもの適当に放り投げたりしてしまうほどのものなのか? ぶっちゃけちょっとやりすぎじゃね? なんて俺は思うんだけど、その問いかけに藤原は困惑した感じに眉を寄せて、けど全然ためらったりしないで首を横に振った。あれ、なんだ、別に嫌ってわけじゃないんだ?
「吹雪のことは、好きなんだ。でも吹雪は、そうじゃなくて、付き合ってほしいって言うから……」
「あー……」
 そうですかー。
 いや、いやいや、待て、そんなこと俺に言われても困る。偏見はないけど深い理解があるってわけでもない。もうごくごく普通の高校一年生はいったいこういうときなんて言葉を口にすべきなんだろう。
 でも俺以上に藤原は困っているみたいで、いや困ってるっていうか、混乱してるっていうか、まぁ吹雪さんの名前聞くだけで他人のケータイぶん投げるくらいには自分を見失ってるわけで、とりあえずあんまり刺激しちゃいけないはずだった。だからってわけじゃないけど俺は黙って黙って、でも向こうもなにか言うような気配はなくって、むしろその出来事を口にしてしまったことを後悔してるみたいな感じもあるから結局俺が言葉を続ける。会話っぽいものを交わそうとがんばってみる。な、なんでこんなことになってんだろう。これって俺のせいなんだろうか、やっぱり。
「えー、あー、じゃあ、断った、ん、だよな?」
「……ん」
 と、藤原はちいさく頷いて、かと思ったら「わ、わからない」とか言いだす。どっちだよ……。
 嫌いじゃなくて、でも付き合えないっていうのは、普通に友だちとして好きは好きだけど恋愛対象としては見られないってことだろ? じゃあ断ればいいだけの話じゃないの?
 それともなにかキッパリ断れない理由とかがあるんだろうか。いや、べつに理由なんかなくたって、性格上ノーと言えないヤツっていうのはいる。ほんと、びっくりするくらいたくさん、いる。藤原もその、なんか曖昧に、べつに好きでもない相手ととりあえず付き合ってみたりとかしちゃうタイプで、吹雪さんの愛の告白、……改めて考えるとなんかすごいな、吹雪さんこいつのこと好きなんだ、へー……まぁその吹雪さんからの好きって気持ちを拒みきれなくてその気はないけど受け入れることにしたんだろうか? それで後悔とかしてる?
 でも藤原は悔やんでるとかそういう感じじゃなくって、実際に俺の問いかけにも頷かなかった。ふるふると軽い感じに首を振って、そのくせかなり重い声音で「無理」とハッキリ言った。俺は他人事だからあーあー吹雪さんかわいそーとか適当に思ったりするわけだけど、でも当人はもちろん必死で、藤原はもうそろそろ世界の終わりが近付いてきていますって感じの顔のまま続ける。
「無理だよ、付き合うとかそういうの。俺には無理」
「…………」
「……吹雪のことは好きだけど、でも、そうやって、そんなふうに決めてしまったらダメなんだ。俺、ぜったいダメになる」
 だから無理、と藤原はまた言って、それはだんだん呪文みたいになっていて、無理だ無理だと口にすることで自分に言い聞かせているような感じがする。
 あ、じゃあほんとのほんとは、こいつ吹雪さんのことちゃんと好きなんじゃん……。と、俺はやっぱり他人事だから適当に感じとって適当に考える。それってつまり両想いだ。だったら藤原は本当ならこんな幽霊みたいな顔して椅子とかひっくり返してなくていいはずだった。だって両想いってもっと笑顔になるもんじゃないの? 普通は。
 でも藤原は実際恐い顔して無理、無理、って繰り返してて涙目になってきて、そのうち床に座りこんでめそめそ泣き出しそうな感じだけどさすがにそんなことはしないでただひたすら不安そうに突っ立ってる。なんでだろう。藤原はたぶん吹雪さんにも「無理だ」って返事したはずだ。好きな人が自分を好きって言ってくれたのに?
 俺は正直ちょっと全然わかんなくって、藤原の中にどんどんと溜まって爆発しそうになってるなんか厄介な感情がじわじわと抜けだしていくのをじっと見ている。藤原がもう一度空っぽになるのを待っている。今度こそ「平気か?」とかそういう声はかけないで、ただ黙って見つめている。
 下校時刻はとうに過ぎてて、原稿用紙二枚分の反省文はもうとっくに過去の産物みたいになっちゃってて、カイザーいないから捺印とか貰えるわけもなくて俺はこれからまたこの校舎の階段を下りてそのまま帰ってしまいたい欲求をこらえながら職員室まで戻らなくちゃいけなくて、戻ったら戻ったで先生の嫌味と説教がまた待ってるはずで、でもなんかそういう色んなこと全部いったん頭の隅に置いて、俺は藤原のことを見ている。藤原はなにかと対峙するみたいに立ちすくんでいる。その視線の先にいるのはもちろん俺じゃなくって、たぶん吹雪さんでもなくって、もっと別のなにか冷たくて悲しくて重たいものだ。
 ……いや、ほんっと、なんで俺こんな目にあってんの?
 なんかよくわからないけど、やたら暗くて面倒くさい感じのヤツと知りあってしまったなぁ。っていうのが、俺の藤原への第一印象――ではないけど、まぁ、実質のファーストインパクトなのだった。

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