純愛モラトリアム - 3/7

 毎日毎日暑くって、夏休みがもう一歩手前まで近付いてて、このまま万丈目を怒らせたっきりで長い長い連休を迎えたくない俺は、でも顔を合わせても完全にシカトを決め込む相手にどう謝罪するのが正解なのかわからないから翔と明日香に相談することにする。
 昼休みの食堂は賑やかすぎて、だからってさすがにこんな反省会じみたことをするのに総務管理会室にお邪魔するわけにもいかないから俺は二人を中庭に呼びだす。厳しい日差しに明日香がちょっと辛そうな顔をする。それでも文句を言わないのは、俺が真剣に悩んでるってことがわかるからだろう。ことの顛末を説明し終えた俺に対して二人の態度は辛辣だった。
「それはアニキが悪いっス……」
「そんなことされたら、誰だって怒るわよ……」
 批判じみた冷たい視線はもうそれだけで二人のケータイからも着信拒否されたような気分にさせる。ううう、俺が悪いのは充分に分かってるしもう本当にバカをやったってめちゃくちゃ反省してるんだよぉ……。
 明日香と翔はもう仕方ないなぁっていうふうに顔を見合わせて、ふたりきりになるチャンスを作ってやるからとにかく誠心誠意謝って、もう二度とこんなことしないって約束して、あとはなにか食べ物でも奢るって提案してなにを要求されても飲み込むこと。それが俺の財布をギリギリまで追い詰めればなんとか支払えるレベルのものなら、万丈目は充分に俺を許す気があるってことだから、とりあえず頑張ってそこまで持ち込んで、もしも法外な値段の逆立ちしたって奢ってやれないようなものを求められるようなら一度諦めて作戦を立て直すこととかを、おもに明日香が立案して指導してくれる。持つべきものは頭の良い友だちだ。ひたすら頷いて、はい、はい、って繰り返してる俺に明日香は呆れたふうに嘆息した。
「まったく、本当にどうしてそんなことしようと思ったの? 悪戯にしてはちょっとタチが悪いわよ」
「う……。えーっと、その、うーん」
 正直に話をするほど俺もバカじゃない。明日香は吹雪さんの妹で、その吹雪さんこそが諸悪の根源……ってわけではないけど、でもまぁ、似たようなもんで、吹雪さんがさっさと藤原のこと諦めててあの日告ったりしなけりゃ俺はたぶん今こんなことになってやしないのだ。明日香があのふたりの関係についてどのくらい把握しているのか俺は知らないけど、あんまり無暗に喋るもんじゃないってことくらいはわかる。
「……最近さぁ、なんつーか、電話先で黙り込むやつがいてさぁ……」
「? イタズラ電話っスか?」
「じゃなくて、なんて言ったらいいのかなぁ、いつもは相談事? みたいなこと聞いてたりするんだけど、たまーになにも言わないときがあって、それで、そういうの困るじゃん? で、どういうふうに対応するのが正しいのかなー、と」
「それで、万丈目くんを実験台にしたの?」呆れた、と明日香は眉を寄せた。「そんなことで解決策なんて導き出せるわけがないじゃない」
「だーからー、反省してるってばー」
 どうだかと言わんばかりに俺に軽蔑の視線を向ける明日香。こういうふうに厳しいのは、でも、たぶん俺にとっては良いことなんだろうと思う。頭ごなしに批難はしないけどちゃんと悪いことは悪いって伝えてくる明日香には、ちょっと大袈裟に考えると、ちゃんと叱って下さってありがとうございますって言うべきなんだろう、本当は。
「たしかに、電話口で黙りこまれるとどうしていいかわかんないっスね……。相手の人はそんなに深刻に悩んでるんスか?」
「そりゃあもう」他人のケータイぶん投げるくらいに前後不覚だ。「なんていうのかなああいうの、お医者さまでも草津の湯でもって感じ。正直ちょっと恐ぇよ」
「え……あっ、え? えええ? 恋の相談スか!? アニキに!?」
 実に失礼な反応だけど、俺もそう思うので黙って頷く。実質的に藤原をああいう状態にしてるのって、恋愛云々よりももっと根っこの部分にあるように思うんだけど、まぁ吹雪さんのせいで一層絡まってるのは事実だろうからそういうことにしとく。名前を出さずに嘘も言わずにっていうのは、けっこうむつかしいもんだ。
 明日香も意外そうに目を丸めていて、「それは随分……大胆な人ね……」と失敬なのか素っ頓狂なのかよくわからないことを言う。まぁ、気持ちはわからないでもなかった。自分で言うのもなんだけど、藤原は間違いなくちょっと人選を誤ってる。頭良いくせに。
「ひゃー、でもすごいっスねぇ。さっすがアニキ。良いなぁ羨ましいなぁ、ボクもそういう立場になってみたいなぁ」
「……なぁ翔、お前俺の話聞いてたか?」
「もちろんっス!」
 だったらなんでそういう発想になるんだろーか。俺はちょっと恐いくらいだって言ってんのに……。
 恋愛とかそっち方面の話題が意外と好きな翔は妙に目をきらきらさせていて食い付きがいい。失敗したかもしれない。余計なことを聞かれて口を滑らせる前に話題を変えてしまおう、と思うのに、翔は自分の妄想で口元を緩めっぱなしで、どうも解放してくれそうになかった。
「報われない恋の相談を親身になって聞いてくれる頼れるクラスメイトの存在に、いつしか心惹かれてゆく可憐な少女……はぁ、ロマンっス……」
「俺は一言も相手が女子だなんて言ってないけどな」
 ぼそりと呟くも、翔にはまったく聞こえていないらしい。少女マンガじみたそれはある種ロマンチックではあるんだろうけど、今回のパターンでは適用されない。っていうか、されてたまるかって感じだ。
「あ、逆の可能性もあるっスよ! アニキのほうがぁー、相手の女の子にぃー、えへへへへへー」
「ないない、そっちのほうがない」
 でれでれと頬を染めて笑う翔は完全に自分の世界で俺の話なんて聞いちゃいない。変なスイッチ押しちゃったなぁって後悔しつつ、俺はその可能性をうっかりちらっと見つめてみる。うう、ないない。マジでない。藤原のこと嫌いじゃないし、放っておいたらなんかヤバそうだなって思うから面倒見るのはいいけど、でもそーいうのはない。無理、きつい。
 でも翔はにやにや笑って「まったまたぁ」とか言って俺のこと軽く小突いてくる。おお、こいつちょっとタチ悪いな……もう二度とこの手の話題振らないでおこう。
「相手の子が黙っちゃうのだって、なーんかイイ雰囲気なだけなんじゃないんスかぁ?」
「だから、ないっつってんだろ。いい加減にしろよなお前、あんなの相手に出来るの吹雪さんくらいだっつーの」
 ――っと。
 やばい、言った。
 一瞬心臓がひやっとして頭が真っ白になって、それから反射的に明日香を見る。自分の妄想世界に頭から突っ込んでる翔は俺の発言にも「なぁんだ、吹雪さんが相手ならアニキに勝ち目はないっスねぇ」なんてやっぱりへらへら笑ってるけど、明日香は違う。呆れた様子で俺と翔のやりとりを見守っていた明日香は、俺が視線をやった瞬間には既に真顔になっている。すっと感情を消したみたいな顔。やばいやばいやばい。これはなにか、地雷を踏んだかも、しれない。
 吹雪さんと藤原のことについて明日香がどれくらい理解してるのかなんて俺は知らない。実の兄が男相手に過去幾度もの告白を繰り返してそのたびに断られて、それでもめげるどころか変わらずそいつのそばにいて毎日過ごしていることを、はたして明日香は知っているんだろうか? それを知っていたとして、だからどうしたってことはないんだけど、でも、それってたぶん楽しいことではないような気がする。わかんないけど。っていうか、今の明日香の顔見てると間違いなく快くは思ってない感じで、だからやっぱり俺の発言で明日香の脳裏には藤原の顔がよぎったに違いない。うわあ、これってなんかヤバいの? 俺なんか失敗したっぽい?
 明日香は無表情のままじっと押し黙って、なぜか俺に向かって、
「…………そう」
 と言って踵を返した。そのままつかつかと校舎の方へと戻ってしまう。こわい。どうしよう、真剣にこわい。
 翔は呑気にあれれーどうしたんっスかー? とか言ってて、俺はちょっと生きた心地がしなくって、夏の日差しは変わらずギラギラ照りつけてて夏休みは目前で、俺は吹雪さんと藤原の問題より俺自身の問題をなんとかしたくて、ああ万丈目による恐怖の着信拒否事件は明日香の協力を失ったいま、いったいどうやって解決へと導けばいいんだろうか……。

* * *

 ところで駅前の大通りの裏側に面した人気の少ないアーケードの片隅には寂れたゲームセンターがあって、そこにはヨハンっていう変なやつが住んでいる。
 いや実際に住んでるわけではないはずなんだけど、でも俺が気まぐれに店に顔を出すたびにヨハンはその薄暗くて古臭くてカビっぽいチカチカした空間のどこかに腰掛けて、ゲームしたりコインを弄ったりぼーっとしてたりするから、俺のなかでヨハンはここに住んでるってことになってる。そうじゃないと説明がつかないくらいの出現率なのだ。俺はヨハンのケータイのアドレスも通ってる学校も国籍さえよくわかってないけど、この店に来れば会えることは知ってるからあんまり気にならない。このゲームセンターを見つけてヨハンにはじめて会ったのは今年の一月で、春が来ても夏が来ても変わらずにゲーム機の前にいるこいつはたぶん秋になってもまた冬になってもここにいるんだろう。
 意外と広さのある店の内部には何年前のものだか予想もつかないような古い機械ばかりが並んでて、俺はヨハンとその辺の古い格闘ゲームとかで適当に遊んでこのピカピカしたミニチュア電気街みたいな空間での時間をすごす。昔のゲームは中身がおかしくなってるのかなんなのか突然画面が固まったり変な動きをしだしたりしてけっこう面白いのだ。
 本格的な夏を連れてきた太陽はもう頭がおかしいんじゃないかってくらい元気一杯に輝いているけど、店のなかは意外にもしっかり冷房が利いていてすごしやすい。これでよく不良の溜まり場とかにならないよなぁと言うと、ヨハンは「その不良って俺たちのことだろ」と快活に笑う。やー、まったくその通りだ。
 夏休みがはじまって、明日香はべつに怒ったわけではないらしくて思ったより普通で、それで万丈目にはどうにかこうにか許して貰って、大盛りチャーシューメン二人前の出費を犠牲に着信拒否もなくなって、心晴れ晴れ平和な俺は補習のない日の退屈な午後なんかにふらっとこのゲームセンターにやってくる。住人のヨハンはもちろん常にここにいて、よっと俺が片手をあげると、なにがおかしいのかけらけら笑う。ヨハンはいつだって楽しそうなのだ。俺もあんまり人のこと言えないけど。
 俺はヨハンに藤原の話をしてみることにする。相変わらず藤原は吹雪が吹雪がって鬱陶しくて、でも俺が補習で登校する日に総務管理会の活動とかあるとわざわざ声をかけてアイス奢ってくれたりするし、あと補習組に課せられた気が遠くなるほどのプリントの山もちょっと手伝ってくれる。藤原の教え方は先生よりわかりやすい気がするから俺の宿題は前代未聞のペースで進んでて、この調子でいけば夏休み後半は遊びたい放題だ。
 夜の無言電話は少し減った。ような気がする。けど、べつに吹雪さんと付き合いだしたとかいうわけではなくて、でもまぁいままでどおり仲は良いみたいで、進展したようすも後退したようすもないけど藤原は楽しそうだし吹雪さんも見た目にはなにか焦ってるみたいな感じもなくて日々穏やかだ。ヨハンは俺の学校の生徒じゃないし吹雪さんとも藤原ともべつに関連性がないから名前を伏せたりしないで、「そういや、藤原って先輩がいてさぁ」と俺は普通にヨハンに話をする。
 好きな人がいて、その人に告白されて、でも八回も振りつづけている変な藤原。
 好きな人に好きって言われて、混乱して椅子とか机とかぐちゃぐちゃにしちゃう藤原。人のケータイを放り投げる藤原。夜中に外をうろついて、なぜか俺に電話をかけてきたっきり黙っている藤原。
 そういうのを口頭でぽろぽろと話して、ヨハンはフーンと他人事らしく軽い相槌を打つ。あんまり真面目っぽくなくていい感じだ。よくある世間話みたいなノリのほうが気楽だし、俺だって別にこのゲーセンの主になにかしてもらおうとは思っていない。
 ヨハンは丸い両目を何度か瞬きさせながらフンフンと俺の話を聞いて、それで最終的には、「かわいいじゃん」と言ってくすりと笑った。は?
「……かわいいか?」
「え? かわいくない? だって相手のこと好きなのに、付き合うのが怖くて告白蹴ってるんだろ? もう三年も同じクラスでいっしょに昼とか食べてるのに。それってすごくないか? 純愛だよ、純愛。今どきなかなかいないって、そんな子」
 ヨハンはそう言いながら、でも自分はあんまり興味ありませんって感じに軽く伸びをする。あれ、んー、なんか認識がズレてる気がするな。
「なぁその藤原って、男なんだけど……」
 非常に重要な現実を付け足した俺に、ヨハンはちょっと黙って目をまんまるにしてから、「ああ、そっちか!」と大袈裟な感じに言って笑ってみせた。ヨハンの「そっちか!」はなんかよくわかんないけど「なるほどそうかそうか、全部把握したぜよっしゃー俺に任せとけー!」みたいな勢いがあって、俺も思わず「わかってくれるか相棒~!」みたいな調子で「そうそう、そっちなんだよ~!」とか返しちゃうけど、まぁヨハンは別になにかを特別理解したわけではないはずだ。いつも適当なことばっかり言うんだ、こいつも俺も。
「ま、性別はどうあれ希少種なのには変わりないと思うぜ。男同士だっていうなら逆に納得って気もするし。いいじゃん、純愛。応援してやれば?」
「純愛ねぇ……」
 藤原は良いヤツだし世話にもなってるし、応援って言えるほどのことが出来るとは思えないけど、もちろん役に立てるのならやぶさかではない。けど、純愛っていうようなものだろうか? ドラマとか映画とかでよくあるラブロマンスみたいな、そういうキレイな要素ってあいつの中に、っていうかあの二人の関係の中にちゃんと横たわってるんだろうか?
 好きだけど付き合うのは無理っていうのは結局自分に自信がなくて、自分の未来に自信がなくて、吹雪さんの未来を見る自信もなくて、それで現状維持にいそしむことにしただけなんじゃないの?
 楽しい楽しい藤原との電話の中で、あいつが話すのはいつも過去の思い出のことばかりだ。一年のとき、二年のとき、このあいだ、昨日、それから今日。藤原はこの先のことを語らない。将来のこととか、進学先のこととか、総務管理会を引退したあとのこととか、そういう未来の要素は意図的に消して『楽しかったこと』の話ばかりする。『これから楽しむこと』の話をしない。吹雪さんとのことだって、別になにか純粋な愛情とかのやりとりだけを求めた結果じゃなくて、ただそういうこの先のことから目を背けてるだけのように見える。
 付き合うことそのものよりただ継続させることが怖いんだ。たぶん。藤原の敵視する『好き』は、あいつの中に永劫に存在するとは限らない『好き』で、逆に言うとつまり、藤原が求めているのは永遠に続く『好き』なんだろう。
 あれ? ってことは、もしかしてこれは純愛と呼ばれるべきものなのか?
 そうなのかもしれない。愛情の純度のなんたるかは俺にはわからないけど、ひょっとしたらヨハンの言うことはけっこう的を射ていて、藤原の迷いとか不安とか、あのわけのわからない混沌とした空っぽの部分にはすごく透明なものこそが溢れているのかもしれない。
「あー、……愛ってなんだろ」
 俺の呟きにヨハンはハハっと笑い、言った。
「わかんねー。俺まだ子どもだもん」
 だよなぁ、と俺は頷く。そんな簡単にわかるもんじゃないし、大人になったところでわかる気もしない。わかりたいともあんまり思わない。いつか誰かに「愛してる」って言われたときに俺はちゃんとそれを受け入れられるんだろうか。想像してみてもいまいちパッとしない。愛してる、愛してる。愛してるよ十代。うーん……。
「まぁ別に良いんじゃないか? わからなくて普通だと思うし。その藤原ってやつのことにしてもさ、他人の恋愛観になんて首突っ込むほうが野暮ってもんだぜ」
「首突っ込んでるっていうか、首掴まれてるっていうか……」
 ヨハンはやっぱりなにがおかしいのか知らないけど軽く笑って、「今度連れて来てくれよ、その藤原」とか言ってくる。「十代の頭を悩ませるようなタイプなんだろ? ちょっと見てみたい」
 ゲーセンの住人であるヨハンはこの場所から動くことができないのだ……。ってわけでもないんだろうけど、そういやヨハンが店の外に出てるところって見たことないから、ひょっとしたらこいつはマジでこの地に住まう仙人かなにかなのかもしれない。ゲーセン仙人。
「別に良いけど。あ、そうだ、せっかくだから吹雪さんも連れてきてやるよ」
 藤原単品でもなかなかだけど、揃うといっそう凄いんだ、あの二人。事情を知っているとちょっと見てるのキツい感じの仲良しっぷり。
 ヨハンは俺の提案にさらりと首を横に振った。アハハ、といつも通りに笑いながら、でもキッパリと言う。
「バカップルお断り」
 なんだ、よくわかってんじゃん。

0