金曜日の六限目の終了を報せるチャイムがキンコンカンコンと鳴り響き、風雲児高校に週末の放課後がやってくる。
常のとおりに賑やかな教室は授業中も例外ではなく、ひと気の少ない動物園のほうがまだいくらか理性的ではなかろうかといった無法地帯っぷりではあるものの、それでも学生である彼らにとって休日の到来は解放感に満ち溢れている。ある者は分かりやすくはしゃぎ声を上げ、またある者は授業中から励んでいた編み物を継続し、そしてまたある者は、隠密のごとき速度で鞄に教科書とノートをさっと詰め込み迅速に立ち上がろうとしたところを、
「久森さん! 今日のご予定はどうなってますか!」
「俺ら今からゲーセンなんすけど、一緒にどうですか!」
と、複数のヤンキーに取り囲まれて、あえなく道を塞がれていた。
はは、と久森は愛想笑いを浮かべつつ、この無邪気なお誘いをどのようにして断るべきかを懸命に考える。同い年なのになぜか久森に敬語を使う彼らは、数日前に駅前のゲームセンターでばったり遭遇し、なんとなく流れで話題のシューティングゲームで対戦することになり、そこそこ良い勝負になったせいでなんだか急に距離が近くなってしまったクラスメイトたちだ。
もちろん、同級生との交流は悪いことではない。悪いことではないのだが、久森にとってこの授業終わりの時間は特別だ。パトロールの当番でもなく、合宿施設への宿泊の予定もない。学生寮へと直帰出来る貴重な貴重な今週末。ゲーセンも良いが、それよりコンビニに寄って食料を確保し、静かな自室でしばらくぼんやりとすごした後に宿題を終わらせ、夜は万全の態勢でソーシャルゲームのレイドバトルに参加したい。
しかしながら、久森のその非常に込み入った本日の予定を、目の前の不良たちに素直に説明するのは気が引けた。どうしても外せない用事のためであればまだしも、ただのんびりすごしたいだけ、という超個人的な都合のためにヤンキーのからのお誘いを断るのだ。小心者にはハードルが高い。
なにより、学ランの代わりに革ジャンを羽織り、謎のトゲトゲがたくさんついた鞄を肩からかけて、髪の色が緑と黄色のグラデーションになっているような、どこからどう見てもヤバめの人たちではあるが、しかし彼らとゲームで遊ぶこと自体がどうしようもなく嫌というわけではないのだ。機械相手より対人戦のほうが盛り上がるのは当然で、かつ、腕の近いゲーマーの存在は貴重である。
要するに、久森は迷っていた。許されるのであれば「また今度」と言いたいところだが、ヒーローという立場上、その『今度』がいつやって来るのかも、じつのところ定かではないのである。
「……あー、っと、その、今日はですね、」
と、久森がおそるおそる口を開くのと、ポケットに入った通信機がビービ―と音を立てるのが同時だった。ALIVEからの連絡だ。久森は瞬時にそれに応答した。教室内だとか、会話の途中だとか、そんな一般常識もこの音の前ではすべて後回しである。
「はい、久森です。……あー、はい。了解しました。えっ、いや校内にはいると思うんですけど……。すみません、すぐに探して捕まえて、現場へは一緒に向かいます。いえ、大丈夫です。はい。では、またあとで」
切断と同時に嘆息する。連絡してきたのは指揮官で、告げられた内容は概ね予想通りのものだった。ヒーローに穏やかな週末など存在しないのだ。
肩を落とす久森に、不良たちは口を揃えて言った。「ケンカっすか!?」
「イーターです」
なにをどう受け取って、誰との喧嘩だと思ったのだ。呆れ果てるこちらの態度に目もくれず、不良たちは歓声を上げた。「ッしゃあ! 風雲児高校の出陣だぜ!」「副長、チョッカク生命体ヤロウに、目にもの見せてやりましょう!」「応援準備だ! 全員集めろ!」
「あー、いや、すみませんまだ出現予測が出ただけで、今すぐに戦うというわけでは……」
鼻息荒く教室を飛び出そうとする彼らをなだめ、久森は苦笑した。「と、いうかですね、あの、応援は良いので……ゲームセンター、行ってきてください」
僕はちょっと行けそうにないので、と続けると、はたと不良たちは顔を見合わせた。「いやいや、オレたちも……」
「良いんです。というか、応援よりむしろ遊んでくれていたほうが助かります。なんというか、そういうふうに普通に遊んでる人たちがいるってことのほうが、たぶん、僕らにとっては重要なので」
つまるところ、戦いに身を投じる際のモチベーションのようなものの話なのだけれど、久森には上手く言葉にすることが出来ない。
「えっと……要するに、僕の分までみんなで遊んできてください、ということです」
幸い、イーターの出現が予測された地域は目当てのゲームセンターから距離がある。万が一にも巻き込まれる心配はないはずだ。久森はそれだけ言い残して、それでは、と鞄を手にして立ち上がった。逃げるように廊下を抜けて、三年生の教室へと向かっていると、どこからともなく声が掛けられる。「あ、久森さん。総長なら、今日は外ですよ」
外ですよというのはもちろん、授業をサボって外で寝てますよ、という意味だ。久森は教えてくれた生徒に礼を言って、くるりと歩く方向を変えた。階段を下りて靴を履き替えて校舎の外に出る。さてどこから探そうかと見回した視界の隅、花壇脇に見覚えのある人影が転がっているのが見えた。明らかに昼寝に適していない場所で堂々と寝転がっている、見間違えようのないその人物に、久森はすたすたと歩み寄った。
「矢後さん、起きてください」
「んー……」
「イーターが出るそうです。お待ちかねの、ケンカの時間ですよ」
ついさっき不良たちに喧嘩ではないと言ったばかりなのに。頭の隅でそんなことを思いつつ、矢後の傍らに座り込む。両手をメガホンの形にして「イーターですよー!」と耳元で叫んでやると、ほどなくして、のそりと上半身が起き上がった。
「…………」
「おはようございます」
いかにも寝起きといったぼんやりした顔で、矢後は久森のあいさつを完全に無視し、かわりに猫のようにふるふると頭を振った。ぐーっと伸びをしてから、ようやく、少しだけ目を覚ました顔つきになる。「何時?」
「六限が終わったところです」
「じゃなくて、イーター」
「ああ」現時刻ではなく、戦闘開始時刻か。「予測では、十六時を回った頃だそうです。区内ですが少し距離があるので、早めに移動するようにと、指揮官さんが」
「ふーん」
ヘアバンドの位置を直しつつ、億劫そうに矢後はおざなりな返事をよこす。まあ、寝起きなのでこんなものだろう。久森は立ち上がった。矢後の確保に成功したことを指揮官へ報告しつつ足早に歩いていると、校門を出たところで、遠くにふと、さっきのクラスメイトたちが駅の方へ歩いてゆく背中が見えた。
「…………」
思わず足を止めると、となりの矢後も立ち止まった。久森の視線の先を追いかけて、「用事?」と問う。
「あ、いえ、そういうわけでは」
ないんですが、と続けるはずの語尾は、ごにょごにょと小さくなってどこかへ消えていった。興味なげな顔をしつつもこちらを見つめている矢後に、久森は遠慮がちに口を開いた。「あの、矢後さん、ちょっとだけ失礼しますね」
「ん」
久森が手を伸ばすと、矢後はまるですべて心得ているかのような態度で右手を差し出し、その接触を受け入れた。外で眠っていたせいだろうか、触れた彼の指先は少しだけ冷たい。目を閉じる。《未来》を視る。
──結果、眉を八の字にして久森は首を捻った。
「……ううーん」
「どーいう反応だよ」
矢後の声はこれといって久森を非難するようなものではなかったが、自分の《未来》を視て唸り声を上げられるというのは、決して気分の良いものではないだろう。久森は矢後の手を素早く離した。
「えーっと、討伐が思いのほか早く終わるようでして」
「あ? んだよ、それ」
つまんねーな、と吐き捨てる。一瞬で機嫌を損ねた矢後に、久森は苦笑いを浮かべた。
「で、相談なんですけど。矢後さん、終わったあとの報告とか提出書とか、今日の分のいろいろ、お願い出来ませんか?」
「別に良いけど」快諾だった。「またあれか、ゲームで戦う時間がどーとか」
「レイド戦ですか? まぁ、それもあるんですが」
たしかに参加するつもりだが、だからといってそんな、なんでもかんでもゲーム中心の生活を送っていると思われるのは心外である。久森は首を振った。少し迷いつつ、今回はそうじゃなくて、と言う。
「ちょっとだけ、ゲームセンターに寄りたくて」
久森の言葉に、矢後は不思議そうな顔をした。難解ななぞなぞにでも対峙したかのようにしばらく視線を彷徨わせ、そうしてから、いたって真面目な顔で口を開く。「ゲームじゃん」
その通りだが、そうではないのだ。
久森は少し笑った。とくに詳細な説明を求めているというわけではないらしく、矢後はまぁいいかとばかりに歩き出す。「行くぞ」と言うその声色には、すでに欠片のやる気もない。
激戦を期待していた彼には悪いが、さっと行って、さっと片付けてしまおう。もちろん、《未来》なんてなにがどう形を変えるか分からないので、決して油断はしないけれど。
思いながらも久森は、戦闘が無事に終わった、そのあとのことを考える。まあ、ちょっと顔を出すだけだ。タイミングがあえば一戦して、そうしたら、寮に戻ってだらだらすごそう。
待ち望んでいた貴重な週末は、とうになくなってしまったのだ。だったらもう少しだけ、予定にないことをして遊んでも、きっと許されるはずである。
週末の放課後
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