3 ユジン
「あさって、昼から出かけるから。空けときな」
ダイキからの電話は突然で、残業上がりのくたびれた様相のまま、ユジンはぽかんとした。その一言、ほんとうにそれだけを残して通話は一方的に断ち切られてしまったので、一日の業務を終えて疲れきった頭では、はたしてなにを言われたのだか一瞬理解出来なかった。
重ねて言うが、ユジンはぽかんとしていた。
まったく、今どきの高校生はなにを考えているのかわからないなぁ、と思った。
いや、大人びてはいるものの、仙道ダイキはあれでまだ中学生だ。本人がそう言っていたのだから間違いない。また理不尽な投擲を受けてはたまらないので、頭のなかの設定を、ユジンは慌てて訂正した。もっとも、幼く見られて腹を立てるならともかく、年上に見られてあんな怒り方をする意味が、ユジンにはさっぱり理解出来なかったけれど。
いやはやまったく、今どきの中学生はなにを考えているのかわからない。
さて唐突にダイキから告げられた「あさって」が明後日を指すということに気付いたユジンは、とりあえず一度そのぽかんを解いて、次いでメール画面を開いた。なにせ駅のホームにいたものだから、電話をかけなおす気にはちょっとならなかった。素早くCCMのキーを叩く。
『明後日はオタレンジャーの集会があるので無理です(´・ω・`)』
若い子相手なので、とりあえず顔文字などを入れてみたが、数分と待たずに届いた返信は冷たいものだった。
『そんなもの断れ。あとキモイ顔文字やめろ』
やってきた電車に乗り込みながら、ユジンは唸った。あまりにストレートな罵倒に、ちょっと傷ついていた。
駅のホームで彼とばったり再会したのがほんの四日前、先週の土曜日のことで、その時に交換したアドレスでいきなりこんな扱いを受けるとは、まったく思ってもみなかった。とはいえあの夜に繰り広げたバトルは実に熱く、まさに一進一退の素晴らしいものであったので、それ自体に不服はない。ユジンはとても満足していた。かつての準決勝戦のようにダイキが小汚い手を使うということもなかったし、互いに正々堂々、悔いのないプレイが出来たと、心から誇ることのできるバトルであった。
明後日。
ダイキからの急な要求はまったくもって非常識極まりないものだが、しかし、LBX以外の用件で自分に声がかかるわけもない。バトルの誘いであることは明白で、ならばとユジンは観念し、再びメールを打ちこんだ。今度はダイキではなく、オタブルーへ宛ててキーを叩く。次の会合に参加できない旨を、適当な理由をつけて送信した。
あの日の夜、ダイキは、それはもう形容しがたい形相を浮かべ、頭のてっぺんから爪の先まで全身全霊あらゆる部位を駆使して「負けて悔しい」という感情を表現していた。その憤りっぷりたるや、いま思い出してもなにやら恐ろしい気持ちになってくるほどのものではあったが、しかし実に四度に渡る敗北を終えたのち、彼の行動は素早かった。
「帰る」
と低やかに宣言し、腹いせに暴れ出すこともユジンを口汚く罵ることもしないまま、彼はあっさりとナイトメアを回収し、代わりになぜか、ユジンが所持していた市販のコアスケルトンをひとつ、「貰っていくよ」と勝手に掴んで持って帰った。それ新品なんですけど、と言葉をかける隙さえなかった。
彼になにか考えがあることは明らかだったが、しかしユジンには、その内容がさっぱり推察できない。ただでさえ察しの悪い性格をしている自分が、今どきの中学生の考えることなど分かるわけがなかった。せいぜい、呪いの藁人形とばかりに釘でも打ちつけられたらどうしよう、とハラハラするくらいのことしか出来ないが、同時に、彼がLBXをそんなふうに扱うことはもうないだろうという確信もあった。
仙道ダイキは、たぶん、そう悪い人物ではない。ちょっと目付きと口には難があるが、あと態度も、あんまり良いとは言い難いし、手癖も足癖も悪かったが、それでも根っからの極悪人というわけではないようだった。アルテミスでこそまるまる悪の手先のようなバトルスタイルでユジンの怒りを買ったものだが、はたしてなにがあったのか、いまの彼にはあそこまでの悪事を働くような気配は残っていない。初代ビビンバードXの首が落ちたことに動転するさまを見て、ユジンはそれを確信した。
成長したのだなぁ、うむうむ、と、深く頷き感心したくもなる。それほどの変化であるように、ユジンには見えた。なにか転機となるようなことがあったのだろう。若いうちの経験は大事にせねばならない。
そういうわけなので、仙道ダイキとのバトルはユジンにとって、すこしばかり悪ぶった不良少年と熱血ヒーローとの魂と魂のぶつかりあいに他ならなかった。仲間たちとの約束を断ってでも、彼とのバトルは受ける価値のあるものだと、ユジンはそう認識していた。腕の立つプレイヤーとの勝負はいつだって楽しいものである。
これまではどうにか勝ち越しを続けているものの、次に戦えば、今度こそ負けてしまうかもしれない。仙道ダイキはそんな相手なのだ。無論、やる限りは全力で立ち向かうけれど、しかしユジンは、世界大会でのダイキのあの悪人面を思い起こすにつけ、いつか彼が卑怯な手を使わずに、正々堂々と自分を倒しに来る日を楽しみにも思うのだった。
さてさて、ダイキから電話を受けた、その明後日。即ち、約束の当日。
昼から出るから、と言っていたはずの彼は、しかし、なぜだか午前十時半をすこし回ったころ、ユジンの部屋のインターホンを押した。
「……お昼からって言ってませんでしたっけ?」
「あ? そうだったか?」
どうやら自分の発言を記憶していないらしい。まだ寝間着姿のユジンに容赦のない批難の視線を浴びせながら、ダイキは、約束が昼なんだよ、とよくわからないことを言った。
「ここからだと少し距離があるからねえ。ま、今回は正確に伝え損なった俺が悪かった。十五分待ってやるから、さっさと準備しなよ」
仙道ダイキサマの寛大なお慈悲によって、ユジンはその十五分で歯を磨いてパジャマを脱ぎ捨てジャージに着替え、申し訳ばかりに寝癖を整えた。きちんとスペアの眼鏡も装着する。与えられた時間は五分ほど余ったが、しかし、
「アンタそのジャージしか持ってないのかい? は? 本気で? 嫌だよそんなダサいカッコのヤツと歩くのなんて恥ずかしい。仕事用のスーツがあるだろう、そっちに着替えてきな。オタレッドへの変身セットは持ってきていいから、ほら、さっさとしなよ、時間ないんだから」
というダイキの言葉によって、残りの五分も無事に消化することが出来た。計画的時間の消費、万々歳である。
「で、どこへ行くんですか?」
わざわざ出かけるというのだから、明確な目的地が彼にはあるのだろう。強化ダンボールならばユジンの部屋に特注のものがあるし、別なフィールドを使用したいのだとしても、Dキューブを展開するだけなら遠くへ移動する必要はないはずだ。バトルの前にパーツの買い替えでもしたいのだろうか、ならばアキハバラあたりにでも出向くつもりなのかもしれないが、だからといって、やはりわざわざ自分を連れて行く理由は見えなかった。
マンションを出て、すこし肌寒い午前の秋の空を仰ぐ。いい天気だ、とユジンは思った。晴天に、隣のダイキも大きく伸びをしている。
「行き先、言ってなかったっけ?」
「なにも聞いていません」
「ふうん、アンタ、詐欺とか簡単に引っかかるタイプだろ。気を付けなよ」
そんな意味のない憎まれ口を叩いてから、ダイキが口にしたのは、シティでも有名な総合病院の名前だった。ユジンは世話になったことがないため正確な場所こそ把握していないが、ここから向かうのには電車を何度か乗り変えて、おそらく一時間近くはかかる。
「病院、って、だれかのお見舞いかなにかですか?」
「んんー」
まあ、似たようなもんかな。
ダイキはそう言って、説明は終いだとばかりに黙り込んだ。ユジンは彼の足取りを追うように隣を歩く。自分がなんの目的で病院なんかに連れていかれようとしているのか、相変わらずさっぱり分からないけれど、別段警戒する必要はないように思えた。詐欺に引っ掛かりやすい、とダイキは評したが、ユジンとてべつに相手を見ていないわけではない。考えなしに誰にでもほいほい従うというわけではないのだ。あ、いや学生の時分、クラスメイトの不良に脅されて仕方なく、というような経験は、まったくないではなかったけれど。
不良というとダイキもそうなのだろうが、しかし彼の場合はどうもすこし違う。脅されているような感じもたしかにあるが、ユジン自身が怯えてはいないのでおそらく無効だ。ユジンは自分が、どちらかというと気弱で、優柔不断な性格であることを自覚していた。そんな己の弱さを克服するためオタクロスに弟子入りし、正義の道をひたむきに歩んではいるものの、本質的にはおそらく今もさして変わらない。いつも逃げ出したいし、自分に非がなくともすぐに謝ってしまう。仕事先で叱られてよろけて、メガネだって割ってしまって、そのせいでタバコの煙も見間違う。本当の本当に、ダメダメなのである。
そしてそんなユジンにとって、仙道ダイキのハッキリとした物言いや、ときに非常識なほどあからさまな感情表現は、見ていて面白く感じられるものであった。自分が大人になってしまったからかもしれない。少年特有の意地や無鉄砲や自己主張は不思議と新鮮で、バンたちのようなまっすぐなプレイヤーとは、また違った魅力を放って見えた。
つまるところ、彼といることはユジンにとって、案外心地のよいことだった。こちらの用語でいうところの、いわゆるツンデレのような要素がダイキにはあったし(デレ成分は今のところほとんど見えないが)、わがままな弟が出来たようだと考えると、なんとなく微笑ましくもある。
「……なにをへらへらしてるんだい」
そんな優しい気持ちでにこにこと笑みを浮かべるユジンに、とうのダイキは大変に白けた視線を向けてきたが、まあ、良い。彼の言葉の端々にはなにかと悪心が散りばめられていて、ユジンの小さなハートは時折地味に傷ついたが、しかし大人びて見えても実際にはまだ中学生だというのだから、口の悪いのも仕方なかろう。反抗期真っ盛りなのだ。
なんでもないですよ、と返すと、ダイキはフンと鼻を鳴らし、ふたたび口を閉ざした。ふたりで並んで駅まで歩き、通い慣れたホームまで辿りついたころにようやく、彼は「そういえば」と言った。
「ああいうの、誰にでもしてるのかい」
あいまいな問いかけに、ユジンは首を傾げた。
「ほらあの日みたいにさ、タバコを吸ってる未成年を見かけたら、片っ端から声かけて説教するのかって聞いてるんだよ」
「ああ」
そういえば、彼との再会はこちらの珍妙な勘違いが発端であった。思い出しながら、ユジンは頷いた。はい、と肯定してみせると、ダイキは顔をしかめ、奇怪な生物を遠巻きに見つめるような目をしてみせた。
「……本当に?」
「本当ですよ」
「…………」
しばらく押し黙ってから、ダイキは、なんで? と言った。実に端的な問いかけであったので、ユジンもそれにはひと言で答えた。
「正義の味方だからです」
胸を張って宣言すると、ダイキは目を丸め、ユジンのメガネをじいっと見つめた。分厚いレンズ越しに向けられる紫の目はきっと次の瞬間にも、いい大人がなにをバカげたことを、と嘲笑うように歪められる。ユジンはそれを知っていた。侮蔑の視線には慣れていたので、それで当然であろうと思っていた。
けれどダイキは驚いたような顔のまま、無言でユジンを見つめていた。しばらくそうやってから、彼は、ああ、と言った。ようやくなにかに得心がいったというふうな、そんな、どこか呆けた表情だった。
「なるほどねえ」
ダイキはかすかに目を細めた。いつもの皮肉げな微笑みではなく、苦笑いのような、仕方がなく負けを認めるかのようなようすで、なんだか優しげに頬を緩める。「そりゃ、倒れないわけだ」
同時に、ホームにかすかな風を舞い込んで、電車がやって来た。
行くよ、と言ったダイキの表情は、その瞬間にはいつもの意地の悪いものに戻っていたので、ユジンは慌ててその背を追った。
総合病院に併設されるようなかたちで設置されたその公園は、いかにも療養施設に相応しく多くの緑に包まれていた。休日であることも手伝ってか、親子連れや学生やカップルや、さまざまな人が憩いの場としてその空間を楽しんでいる。
ユジンとダイキが到着したのは丁度、じきに正午を回ろうという頃合いであった。途中コンビニで購入した(ユジンが奢らされた)サンドイッチを食べ歩きながら、ダイキはきょろきょろと周囲を見回し、ちょっと早かったかな、などと呟いている。
「お見舞いじゃなかったんですか?」
「入院患者と待ち合わせ。ま、ホントに来るかどうか、賭けみたいなもんだけど」
へえ、とユジンは頷いた。よく分からないが、そうなんですかあ、と当たり障りなく答えておく。この時点で、ユジンの脳内ではある推測が立てられていた。その入院患者とはおそらく、大掛かりな手術を目前とした、小さい子どもなのではないだろうか、という、ほぼ確信に近い予想であった。
なにせユジンは、あのアルテミスのファイナルステージまで勝ち上った実績を持つプレイヤーだ。記録としては世界大会第四位の男である。LBX関係の雑誌記事に写真やインタビューが掲載されたことも何度となくあるし、実をいうとファンレターだって貰ったことがある。奇抜なパフォーマンスもあってか、プレイヤーの間ではそれなりの知名度を誇ると自負していた。
オタレッドに会って、手術に挑戦するための勇気を貰いたい!
そんな願いを持つ子がいたとしても、なんら不思議ではない。感動的な話であるし、その導き手が仙道ダイキだという点も、とんでもなくドラマティックではなかろうか。ユジンはひとり拳を握りしめてフルフルした。その時のために、涙腺を引き締めておく必要がありそうだった。
そうやって時間を潰すこと十分。
ユジンの心の準備も出来てきたころ、遠目にも見覚えのある少年がふたり、ちょうど病院側に面する出入り口から姿を現した。少年の一方が先にこちらの存在に気付き、連れの服の袖をちょいちょいとひっぱる。振り返ったもう片方は、ダイキを見て、それからユジンに視線をやって目を見張った。ぎょっとしたと言ってもいいほど大袈裟に瞠目し、すぐさま不穏なオーラを放つ。どちらかといえば小柄なふうに見える、まだほんの子どもだというのに、とんでもない存在感でもって彼らはそこに立っていた。
少年のうち目付きの鋭い方――罪人を叱責するかのような厳しい視線をこちらに向けているのは、ユジンもよく知っている人物だった。海道ジンだ。アルテミス決勝戦で剣を交えた五人のプレイヤーのうちひとりであり、アキハバラキングダムではユジンとの直接対決こそなかったものの、オタレンジャーのメンバーたちを軽く伸しては勝ちあがっていった、驚異的な才能を持つ中学一年生である。
秒殺の皇帝の異名を誇る、年不相応にクールな眼差しの少年は、しかしその双眸に明らかな動揺とかすかな苛立ちを滲ませてそこにいた。ユジンは首を傾げ、ダイキを見る。彼は相変わらず悪ぶった笑みを浮かべるばかりで、こちらになにかを説明する気はないようだった。
広い公園の中で、ユジンたちと彼らは離れた場所に立って見つめ合っていた。互いに歩み寄ろうという意識を感じないその距離感に、ユジンは内心おろおろとした。ダイキの言う待ち合わせ相手とは彼らのようで、だったら、ジンの隣に立つあの少年こそが問題の入院患者に違いない。どこかぼんやりとしたふうに佇む、その姿は全体的に細く頼りなく、まさに気分転換にとなりの病院から出て来たばかりというふうに見えた。夏場に外に出なかったのか、青白い肌をしている。黒の髪を肩口辺りまで伸ばしていて、遠目にシルエットだけを見れば少女と見間違うこともあるかもしれなかった。
けれどユジンは、彼が間違いなく少年であることを知っている。
「……仙道くん」
「なんだい?」
「つかぬことを伺いますが、あそこにいる彼は……」
「今日のアンタのバトル相手」
しれっと、ダイキはそんなことを言ってのけた。ユジンは気が遠くなった。
少年はどこか緊張しているような素振りで、落ち着きなく視線を彷徨わせながらジンの傍らに立っていた。あの二人がどういった関係なのかユジンには検討もつかないが、なんとなく、親鳥と雛のような繋がりを連想させる佇まいであった。親のほうは、目の前に現れたタチの悪い猛禽類(むろんダイキのことである)に威嚇することで手一杯のようだが、ユジンもその一味として数えられているのは間違いない。
「あの、一応、念のために確認をしておきたいんですが、いいですか?」
「どーぞ」
「あそこの彼は、その、灰原ユウヤ、くん、ではない人でしょうかね?」
他人の空似ならばいいな、という淡い期待を込めた結果、日本語のおかしな質問になってしまった。ダイキは鼻白んだ調子で言った。
「なに言ってんだい。見れば分かるだろう、灰原ユウヤだよ」
ユジンの口から、おっひゃあ、と変な声が出た。灰原ユウヤというと、あの灰原ユウヤである。アルテミス決勝戦、変てこりんなスーツを着込み変てこりんな技術でもってとんでもない速度でLBXを操作し、そして、ユジンを打ちのめした。ブレイクオーバーした後も嬲るように機体を傷めつけ、ビビンバードXの首を捩じり取った。
あの灰原ユウヤである。
髪が少し伸びて、服装もまったく違うものになっていたが、どこからどう見ても灰原ユウヤだった。アルテミスで見せた、何者かに操られているかのような虚ろなようすこそ消えていたけれど、それでもあの灰原ユウヤなのだ。灰原ユウヤが、すぐそこにいるのだ。ユジンはもう一度、おっひゃあ、と奇妙な声を出した。ちょっと待ってほしい。だって、ダイキはさっきなんと言った?
「な、なな、な、なんで、か、彼、ここここここにいるんですか」
「バカだねえ、俺が呼んだに決まってるじゃないか。アンタと戦わせるために、いろいろ準備してやったんだ。感謝してほしいもんだね」
ダイキはそう言って、一向にこちらに寄って来ない彼らに嫌気が差したか、ついにずかずかと歩き出した。ユジンはその背を眺めながらあわあわしていたが、くるりと振り返ったダイキに「なにをもたもたしてんだい」と言われて仕方なくついてゆく。なんだ、なんでこんなことになっているのだ。軽くパニックさえ起こしかけているユジンに対し、ダイキはなんのフォローも入れることなくジンの元へと歩み寄った。
「よお、ちゃんと来たんだ。えらいじゃないか」
「……そちらの彼が来ることは聞いていなかった。どういうつもりだ?」
「どうもこうも、たしかにバトルを申し込むとは言ったけど、俺が相手をするだなんてひとことも言っちゃいないからねえ」
そう言ってにやにやと笑うダイキは実に小憎らしく、細かい事情は知らないが、ユジンは心底からジンに同情した。私も被害者なんですよ、と握手を求めたい気分にさえなったけれど、少年から発せられる威圧感がとんでもなかったため近付くのはやめておく。なにより、ジンの隣には彼がいた。少しばかり印象は変わったように見えたが、しかし間近で見れば見るほど、灰原ユウヤに間違いない人物が、すぐそこに立っている。
ビビンバードXは、彼の手で破壊された。
けたたましく哄笑を発しながら、狂ったようにLBXを操作していた灰原ユウヤ。悪夢のようだったあの光景を思い出し、ユジンは身震いした。と、とんでもないことになってしまった。
「せ、せせ、仙道くん、ちょっと」
「あ?」
「お心遣いはありがたいんですけどね、こちらにも心の準備というものが必要だとはおおお思いませんでしたか?」
「…………」
「たったしかに私はやりなおしたいと言いましたけれど、こういった意味合いではなくてですね。大体そもそも向こうの了承も取れていないみたいですし、ねみみみにみ水ですよこんなの」
どもりにどもるユジンを、ダイキは、とても冷たい目で見ていた。いかにも興ざめだというふうに、ふうん、と言って腕を組む。いつもの嘲笑を交えた上から目線ではなく、あからさまな軽蔑を含んだ態度に、ユジンは怯んだ。今にも「見損なった」とでも言いだしそうな顔をしているな、と思った次の瞬間に、ダイキは言った。
「見損なったよ、ユジン」
びびびっと、背中に電気のようなものが走った気がした。
「アンタ、正義の味方じゃなかったのかい? バトルにも自分自身にも負けたことが、悔しかったんじゃないのかい? 心の準備だとか寝耳に水だとか言い訳してんじゃないよ、下らねえ。そんなこと言って、また怖気づいて逃げ出すのかい、このニセヒーロー」
吐き捨てるように言ったダイキは凍えるほどに無表情だった。ユジンは背筋を伸ばした。
そうだ。
逃げるわけにはいかない。
ユジンは大慌てで、紙袋に入った赤いジャージを取りだした。素早く着こみ、マスクを被る。この恰好に変身したユジンは、もはやユジンではない。
正義のヒーロー、オタレッドなのだ。
突然の早着替えにぎょっとしている、ダイキのその両手を、ユジンは取った。有無を言わさず、ぎゅっと握りしめる。
「ありがとうございます、仙道くん! おかげで目が覚めました!」
「…………」
居心地悪そうに、ダイキは目を泳がせた。「……そーかい」
はい、とユジンは元気に返事をして、それから、灰原ユウヤに視線をやった。ダイキの手を離し、改めて少年に向き直る。
あの日、あのLBXを操っていた彼は、こんなにも小さな子どもだったのだということに気がついた。
「よろしくおねがいします」
ユジンが軽く頭を下げると、ユウヤはすこし困ったふうにジンのほうを見やった。なにかの許可を求めるような眼差しを向けて、けれどジンが口を開く前に、意を決したようすでこちらへ一歩踏み出す。
「……よろしく、おねがいします」
そう言ってぺこりとお辞儀を返す灰原ユウヤに、あの狂気の面差しは欠片たりとも残ってはいなかった。
丁度、もと来た道のりを、ユジンとダイキは並んで歩いていた。
ストレートバトルにそう長い時間は要しない。灰原ユウヤとの戦いを終え、ふたりはあっけなく公園をあとにした。別段ほかに用事もなかったので、とりあえず駅まで戻ることにして、病院から続くゆるやかな坂を下っていた。
休日の、時刻はまだ十三時も回っていない。頭上には相変わらず、清々しい晴天が広がっている。
不思議だなあ、とユジンは思った。こんな道をこんなふうに、こんな気分で彼と歩く日が来るだなんて、思ってもみなかった。まったく、LBXというものは、どうしてこんなにも楽しいのだろうか。
「本当に、ありがとうございました、仙道くん」
何度目かになる礼の言葉を、改めて口にしたユジンに、ダイキは肩を竦めてみせた。「別に、アンタのためにやったことじゃないよ」
クールにもそんなことを言ってくれる。ユジンは嬉しくなってへらへらと笑った。まったくこの年下の友人ときたら、本当に素直じゃない。
「またまた、そんなこと言っちゃって。この間私が弱音を吐いたから、それで見かねて、こんな計画を練ってくれたんでしょう? 私、きみのことを少し勘違いしていました。そりゃあ、極悪非道のどうしようもないDQNだと思っていたわけじゃありませんけど、でも仙道くんってやっぱり性格悪いですし、すぐに人の神経を逆なでするようなこと言うし、パシリはたくさんいそうだけど同年代の友だちなんてほとんどいないんだろうなぁって感じですし、でも、そんなことないみたいで安心しました。仙道くん、けっこう優しいんですね。意外です」
「…………」
ユジンとしてはめいっぱい褒めたつもりだったのだが、どうやらダイキの受け取り方はそうではなかったらしい。彼は盛大に顔をしかめ、フンと鼻を鳴らしてみせた。なんだか機嫌が悪そうだ。そういえば、ユジンが灰原ユウヤとバトルを終えたその時にも、彼はこんな感じの顔をしていた。
まるで計算外だというふうな。
なんてつまらないのだろうと、不愉快に思っているかのような。
「呑気なこと言ってるわりに、圧勝だったじゃないか、ユジン」
と、やはり憤然としたようすで、ダイキは呟いた。機嫌が悪いというよりは、単純に腹を立てているかのようだった。ユジンはかすかに首を捻りながら、それでも、ええ、と頷いた。
「そりゃあ、さすがに。ジンくんのLBXを出してこられたときは驚きましたけど、聞けばユウヤくん、アルテミス以来まったくバトルしていなかったそうじゃないですか。そのうえに不慣れな機体と武器で、メンテナンスこそ丁寧に施してあったとはいえ、いくらなんでも負けやしませんよ」
とはいえ、ユウヤは決して弱くはなかった。当然だ。アルテミスファイナルまで勝ち進んだ実力の持ち主が、たった数カ月の療養生活程度で簡単に腕を落とすようなことはない。どういった事情があるのか知らないが、あれだけの強さを誇るプレイヤーが、LBXから離れられるわけがないのだ。
ユウヤにしてもそうだし、ジンもそうだ。
どんな道を歩んだところで、きっと彼らはLBXとともにあることを選ぶ。ユジンにはその未来が目に見えるようだった。来年もきっと、世界の舞台で会うことができる。その日にはもっと、もっと強くなっているに違いない。
楽しみだなあ、と機嫌よく鼻歌でも奏でだしそうなユジンに対し、ダイキのほうは相変わらず憮然とした態度を崩さなかった。なにがそんなに気に入らないのだろう。見かねたユジンが、どうしたんですか、と声をかけると、ダイキはなにか思案するふうに空を見上げた。
はあ、と心底残念そうに溜め息をつく。
「俺は、アンタが負けるところが見たかっただけなんだけどねえ」
ユジンは一瞬、なにを言われたのか分からずに硬直した。え? と素直な声が口から洩れた。実に困ったとでも言いたげに頭をかく、ダイキの顔をまじまじと見つめて、もう一度、え? と言った。それに「なんだい」と返す、彼の声は冷たかった。
「仙道くん、私に真の勝利を授けようとしてくれたんじゃないんですか?」
「は? なんだい真の勝利って。ああ、あれかい、勝負に負けても自分に勝つバトル、とかそういうやつかい?」
自分でそれを口にしながら、ダイキは、ハン、と鼻で笑った。
「バカバカしい、勝たなきゃ意味がないに決まってるじゃないか。自分に負けるようなやつが、そもそもLBXで勝てるわけがない」
ダイキのその断言を、ユジンは呆けた頭で聞いていた。ではなんだ、この子はいったいなにがしたかったんだ? と、実に正当に困惑した。自分に再戦の機会を与えてくれた、その理由がどうやら厚意から来るものばかりではないらしいということだけ理解した。
「アンタが負けるところを、俺は一度しか見たことがなかったからねえ。海道ジンならあるいは、と思ったんだけど、LBXから距離を取っていることは風の噂に聞いてたし、だからといって山野バンたちと仲良しこよしの交流戦なんてまっぴらゴメンだから、結局前例のある灰原ユウヤに白羽の矢が立ったってだけなんだけど」
まさかあそこまで勝負にならないとは思わなかった。
ダイキはそう付け足して、はあ、ともう一度嘆息した。それを受けてユジンは、おおお、と胸中で感嘆した。ひととおり褒めた直後ではあるが、前言撤回だ。仙道ダイキはやはり仙道ダイキであった。間違っても、良い子などでは決してない。きっと友だちもあんまりいない。
「な、なんでそうまでして、私が負けるところなんて見たいんですか……」
無論ユジンは、一般的なプレイヤーに比べればはるかに腕が立つ。そこらの人間を相手にしたところで、そうそう簡単に負けることはないだろう。それはそうなのだが、しかし、そういう問題ではない。自分を打ち負かすためにこれだけのお膳立てをする、その理由が分からない。
半ば泣きごとめいた声音で訊ねたユジンに対し、ダイキの回答は簡潔であった。
「そんなの、俺がアンタに勝つために決まってるだろう」
「……へ?」
「真正面からぶつかってもダメだってことは、この間のバトルでハッキリしたからねえ。だったら研究あるのみってとこまでは思いついたんだけど、そもそもアンタが倒れるところってのが想像出来なかったから、じゃ、誰か倒せそうな相手に登場してもらうのが妥当だろうって、そう考えたんだよ」
とんだ計算違いだったけど、と付けたし、ダイキはやはり嘆息した。「上手くいけばジンのやつが出てくるかもしれないとも思ったのに、過保護そうに見えて案外、あまり口を挟んではこなかったねえ。ま、ゼノンを持たせてきた時点で大概か」
ぶつぶつとそんなことを言う、ダイキの横顔を、ユジンはじっと見つめた。うむむ、と小さく唸る。なにか言葉のようなものを探してみたけれど、いまひとつ上手に見つけられなかったので、とりあえず「仙道くん、どこかでお昼ごはんでも食べませんか」と言ってみた。
ダイキは、ちらりとこちらに視線を寄こした。
奢りますよ、と言うと、ならば奢られてやろうか、というような態度で、彼は鷹揚に頷いた。