2.
ぽかんと開け放った窓の外にはきれいに法線を描いた細い月が浮かんでいて、俺がそれを爪あとのようだと言うと、彼はゆりかごのようだと返した。
風の強い夜だった。島中の生き物すべてが寝静まったような、沈黙の時間。耳をすませば微かに聞こえる、島を打ちつける荒い波音はいつだって心を落ち着かせた。静寂は胸を乱すけれど、過剰な雑音はそれはそれで耳障りだから、どちらでもなく闇に響く細波は好ましい。
木々の枝葉がぶつかりあうざわめきの、その遠く、強い風に煽られて荒れる水面を思って耳をすませる。波が暴れれば暴れるほど、その奥底に沈む深海の世界は凪ぎを取り戻すように思えた。
世界が死に絶えたような閑寂の夜空には細い月が浮かんでいる。
薄い雲が風に追い立てられ、淡く輝く月の姿を見え隠れさせていた。俺はひとりぼんやりと空を見上げて、今にも突風に引きちぎられてしまいそうな月を、そのか細い線を注視した。見失うことのないように。
《僕にはね、あの月はゆりかごに見えるよ》
吹雪の言葉を思い出す。ほんのついさっき、数時間前まで、俺は彼と同じ空を見ていた。いまはひとり。ひとりになってようやく、吹雪の言うゆりかごの月を見つけた気がした。風が強い。もしもあれがゆりかごだとしたなら、きっとあっという間に雲に飲まれて、そこに横たわる幼子はこの暗い夜にひとり放り出されてしまうに違いない。だから彼の言うのはきっと、誰も眠らないゆりかごだ。優しすぎて脆いから、誰も包むことのないゆりかご。
爪を砥ぐようにすごす真夜中に、彼の声を自然と思いだせることに安堵する。
忘れたくはなかった。吹雪の告げた言葉のすべて、彼と見たこの夜の空も全部、俺は覚えていたかった。夜空に突き刺さる鋲の数さえすべてだ。風の温度も、潮の匂いも、向けられた優しさも、なにひとつ取りこぼすことのないように。
それが可能な道を探していた。
そこに辿りつけば、荒波の底で静かに揺れる深海のように、永遠に穏やかな気持ちでいられるはずだった。
窓を閉じて寮の室内へと身を閉じ込める。「泊まっていくかい」と、そんなことを簡単に告げる、吹雪の声を思い出す。こんな深い闇の時間であっても、尋ねればきっと、彼は俺を受け入れてくれるだろう。
けれどそれではなにも得られないから、彼のゆりかごでは眠れないから、俺はまた机に向き直った。そこに広がる文字の果てに、吹雪の言葉は追いかけては来なかった。