長く、本当に思いがけないほどに長く、その文通は絶えなかった。
遊星は手の空いた時に返事を書いたし、優介の手紙が妙な間を空けて届くときには、ほんの昨日まで行われていた定期試験の出来栄えについての報告が添えられていた。優介は真面目な学生であり、遊星はそれを見守る保護者のような気分で手紙を読んだ。デュエルはもちろん、勉学に関しても、アドバイスめいたものを書き添えることさえあった。
離れて暮らす兄弟が、近況を伝えあうのと少し似ているような気がする。遊星はときどきそんなことを考えながら、優介から届く他愛のない手紙を、小箱から与えられる不思議な過去の物語を、心の隅で待ちわびながら日常をすごしていた。
だからというわけではないが、けれど遊星は、たしかに優介のその言葉に戸惑ったのだ。
≪遊星くんと一度逢って、ちゃんと話をしてみたいな。≫
何気なく書かれた一文は、しかし一枚の便箋の上ではっきりとした主張を崩さなかった。優介はそれを不可能とわかった上で告げたのだろう。さらりと、流してくれて構わないのだというふうに現実の自分を求められ、遊星は困惑した。断る言葉を探したのではなく、それを実現する方法を考えて惑ったのだった。
そんなことは無理だと、一蹴することはしたくなかった。いつもなぜか諦めたような気配の漂う、彼の微笑を自分に向けさせたくもなかった。遊星はしばらく優介からのその言葉をじいと見つめ、思案し、そしてひとつの結論を選んだ。
* * *
「写真を撮りたいんだ」と遊星が言うと、「だったらピザを頼もう」とブルーノが言った。
ごく当然のように返された言葉に、遊星はかすかに首を傾げ、ピザ? と思わず聞きかえした。なにかの聞き間違いかと思ったが、ブルーノはたしかに「ピザだよ」と言って笑顔を浮かべている。「写真を撮るんだろう? だったらおいしいものを食べないと」
どういう理論なのだ、と遊星が切り返すより先に、傍らにいたジャックが鼻白んだ声で、「自分が食べたいだけだろう」ともっともなことを言ったが、しかし彼の主張はそこでは終わらなかった。ソファに腰掛け腕を組んだまま、うむとひとつ頷く。「だが、ピザは良いな。俺は賛成だ」
ブルーノがガッツポーズをした。
いわく、写真に収まるのならば相応に良い表情で写るべきであるので、そのためのピザなのだとブルーノは言った。なるほど、おいしいものを食べれば充たされるのは道理である。わからない理屈ではなかったが、しかし、目の前に広げられた豪勢な宅配ピザが遊星の写真撮影に本当に必要であるのかは謎だった。
「……お前らはうちの家計を理解してんのか……?」
心の底から苦々しげな顔をして、クロウが頭を抱えて言った。朝の仕事から戻った途端、分不相応な贅沢に迎えられたのだから当然である。一応、代金そのものは遊星個人が修繕の仕事やなんかで得た金で賄ったので、『うち』の家計自体には直接響かないはずなのだが、それを言うとクロウは一層頭の痛そうな顔をした。
「そういう問題じゃねえだろ。だいたいなんでわざわざ出前を取る必要があったんだよ、ピザなら冷凍の生地にソース塗ってウインナーとチーズ乗せてチンで充分だろうが」
「最近CMで流れている新商品が食べてみたかったらしい」
「……なるほど」
あれはたしかに美味そうだ、とクロウは諦めたように軽く嘆息した。すでに届いてしまったものに文句をつけても仕方ないと判断したのだろう、彼は切り替えるようにピザに向き直り、いまにも食いつかんばかりのブルーノを片手で制して皿と飲み物の準備をはじめた。遊星もそれに加わると、同時にガレージから「お邪魔しまーす!」と龍亞の声が元気に響いた。龍可とアキも一緒のはずだ。
カメラはブルーノが構えた。「僕に任せてよ」とウインクさえしてみせた彼は、好き勝手にピザを食して談笑しながら、気がつくと不思議なタイミングでシャッターを切ってゆく。アキや龍可は恥ずかしいのか、撮るまえに一言告げてほしいと何度か頼んでいたが、ブルーノははいはいと笑うばかりで聞きとどけたようすはなかった。
食事はあっというまに消え、余った時間を七人は落ち着いたようすで過ごした。この頃は慌ただしく、顔触れが揃うたびになにやらトラブルに遭遇していたような気がする。WRGPを前に、この決起集会とでも呼ぶべき食事会は無駄にはならないだろうと遊星は思った。憩いの時間だ。クロウももう、目くじらを立てていたことなど忘れたように楽しんでいる。
ブルーノはその日撮った写真をすぐさまにプリントアウトして、みんなが帰宅する前にテーブルの上に広げてみせた。いかにもスナップショットといった具合の複数枚は、任せてよと豪語しただけのことはあってどれもよく撮れているように見えた。美味い食事をとると、人はこんなにもリラックスした表情になるらしい。
和気藹々と眺める中で、アキが、「私、これが好き」と指した一枚があった。
中央では龍亞と龍可がそれぞれピザを頬張り、その右隣に腰掛けた遊星が、カメラの外側にいる誰かに声をかけている画だった。誰となにを語らっていたシーンなのか、当の遊星にもまったく覚えはなかったが、写真の中の自分は意外なほどに優しい顔をしている。
写真を手に取り見つめながら、自分の浮かべた思いがけない表情にすこし驚いていると、脇から龍可が袖を引いた。「ねえ遊星、どうして急に写真が必要だったの?」
おそらく誰もが気になっていたのだろう、その一言で一斉に向けられた視線に、遊星はどう返したものか少し迷った。まさか小箱のことから説明するわけにもいかないし、かといって嘘をつくような理由も見当たらない。
「……最近、書面でやりとりしている相手がいるんだが」
手紙や文通といった単語を使うのが気恥ずかしく、遊星は言葉を選びながらぽつりと言った。「彼とは住んでいる場所が遠すぎて、直接には会えそうにないんだ。それで、俺がどういう人間なのか知ってもらうために、写真を送ろうと思った」
実際に顔を合わせることは出来なくても、知ってもらうことは出来るだろうと考えたのだ。遊星が自分の姿を送ることで、彼からも写真が返ってくるというような期待はしていない。ただ、『逢って話をしてみたい』という優介の言葉に、もっとも真摯な形で、自分も同じように思っていると返事をするのには、この方法が最適なのではないかと思った。
けれど、と遊星はかすかに苦笑した。思ったよりはるかに、楽しげな写真が撮れてしまった。これではまるで、不動遊星がひどく和やかで平穏な人物のように見えてしまう。
もう少し表情の堅いようすのほうが自分らしいのではないだろうか。そう言った遊星に、しかしすぐさま「そんなことないわ」と返したのはアキだった。
「遊星は、とても優しいもの」
と、意を決し吐き出すように告げたアキは、どうやら本当にこの写真がお気に入りのようだった。礼を言うのもなにか違う気がして、かすかに惑った遊星を遮るように、龍亞の賛同する声があがる。「遊星は優しいよ!」と声高に訴えられ、加えて、龍可にまで「私も、遊星のこの表情すごく好き」とはにかまれ、遊星は息をついた。承諾したというふうに少し笑むと、ブルーノが自身の功績を誇負するように胸を張った。
その日の夜に、遊星は小箱にその写真と、さらにジャックとクロウ、アキの映ったものを一緒に入れた。
便箋と向かい合い、悩み悩み、一枚目の右に映っているのが自分であること、隣にいる双子が小箱を遊星のもとまで運んできた子どもたちで、アキと同じくデュエルアカデミアの生徒であるということ、ジャックのこと、クロウのこと、カメラを手放さなかったせいで映らなかった撮影者のこと、彼の提案でピザを頼んでみんなで食べたこと、それらを丁寧に記してゆく。
ここに映るすべてが、遊星の大切な絆だ。
自身の手のうちにあるものはきっとそう多くはない。けれど、遊星には充分なほどだった。遊星は今まで、優介へと宛てる手紙の中にあまり自身のことを綴らなかった。デュエルのこと、Dホイールのこと、自身の持つ技術に関する話は山ほどしたが、思えば友について語ることはしてこなかったのだ。優介の話には多くの友人たちが登場した。遊星はそれを聞いて頷くばかりで、自身の物語について触れることはしなかった。具体的に避けていたというわけではないが、今がよい機会ではあったのだろう。
優介、と遊星は彼に語りかける。
優介、ここが俺の世界だ。俺のすごしている場所、俺の抱えている物語の輪のうちなんだ。決して優しいばかりではないけれど、すべてがうまくいく世界ではないけれど、俺たちは自分の力でこの道を切り拓いてきた。これからもきっと、この街で生きていく。
――優介。
≪きみの過ごす場所が、俺にとってのこの街と同じように、何物にも代えがたい大切なものであることを祈っている。≫
* * *
≪遊星くんへ。
まさか写真を送ってくるとは思いませんでした。設計図が届いた時にも感じたけれど、きみは時々、思ってもみないことをしてくるね。手紙で読む限りとても落ち着いている印象なのに、案外破天荒なところがあるのかもしれないと、最近思うようになりました。勿論、悪い意味ではないよ。きみはなにかを成し遂げる人なんだろうなって、そう思います。
写真をありがとう。俺の想像していたよりずっとカッコいい遊星くんが映っていて、ちょっと驚きました。正直に言うと、もっと年上かと思ってた。ごめんね。俺より少し年上くらいなのかな、すごく優しげだし、なんだか親近感が湧いたよ。
この写真、俺が貰ってしまっても構わないのかな? もし返した方が良いのなら教えてください。でも、出来れば手元に置いておきたいな。写真は好きなんだ。きみが、きみの友人たちと一緒にどこかに暮らしていることを、この写真を見ることできちんと覚えておきたい。
こっちからもそのうち写真を送ります。映りの良いのを探しておくね。
遊星くん。
最近、自分が本当にやりたいことが分かりました。きみの言うように、今の俺の暮らす場所は、多分何より大切にすべきものなんだと思います。遊星くんがきみの街を好きなように、俺もこの学校が好きです。出来れば失いたくはない。
だから、そのために努力をしたいと思っています。俺は決して特別に秀でた人間ではないけれど、諦めることをしなければ、きっと成し遂げられると信じています。
遊星くん。子どものことを忘れる親なんていないって、きみが言ってくれたこと、俺はちゃんと覚えているよ。本当にそうであれば良いと、忘れられてなんかいないんだと、そう信じたいと思ってすごしています。両親のことだけじゃない。誰かが誰かに忘れられてしまうような、悲しい世界がなくなれば良いのにね。
だから、少し集中して、その目標ための勉強をしようと思っています。返事が遅くなることが増えるかもしれないけれど、心配しないで待っていて。完成した時には、きみにも必ず報告するから。
今夜は俺も、友だちみんなとピザを食べたいな。寮の食堂で作って貰えるか聞いてみようと思います。
では、また。
優介≫