並んで歩くこと - 3/3

 ――と、ここまでが、だいたいの事のあらましである。
 長い回想ではあったものの、とにかく、恋次は急にやって来た白哉にとりあえず大人しくついていった結果、現在ものすごく慣れない空間で固まって正座しているわけだった。根本的なところでなにが問題かというと、目の前の上官が押し黙ったままなにも口にしようとしないのがとにかく大問題で、よもや未だ一般市民との生活環境のギャップに衝撃を受けたまま帰ってこられないわけではあるまいな、と的外れなことさえ考え出してしまう始末だ。いい加減に思考がすとんとシャットダウンしそうだった。
 とにかく店の中は静かで、昼間のわりに客人も多く見られたが、その大半が恋次の知らない世界の住人のようだった。貴族と富豪と成金と、まぁとにかく、容貌の如何に関わらず、大抵が煌びやかで上質な衣服を着用している立派な御仁たちだ。白哉はもちろんなんの問題もなく馴染んでいたが、こちらは流魂街出身、阿散井恋次である。もう一度死んだってこんなオジョーヒンな場所と関わることがあるとは思っていなかった。
 あまりに丈に合わない店内で、自分はものすごく浮いているのだろうなという考えは、しかし別段卑屈な方向には傾かない。無論、白哉の恥になるようならばそれは考えものだが、本人が望んで連れて来たのだから問題はないのだろう。知らないお偉いさんにとやかく言われる筋合いはない。
 とにかくそんなことよりも、ただ黙ったままこちらをうかがう気配さえない白哉のほうが気になっていた。もういっそ怖いと言っていいほどの沈黙に、思わず叫んで転がりまわりたくなってしまう。ただでさえむず痒い雰囲気に晒されて、全身が拒否反応を起こしそうなのだ。野良犬のような暮らしを長く続けた恋次にとって、このキレイさはやはり性に合わない。せめて目の前の上官がなにか話かけてくれれば良いものの、残念ながら相手は言うべきことしか口にしない鬼のような無口さを誇る朽木白哉。普段ならばこちらから声をかけることもできるが、それさえ阻むような気配に恋次は挙動不審に陥るしかなかった。無作法にきょろきょろと周囲を見回しつつ、痺れはじめた足を開放してやるタイミングを計ることくらいしかできないのである。
 さて、はたしてどれほど時間が経っただろうか。
 おそらくはほんの数分だったのだろう。恋次にとっては長い長い、それは長い沈黙であったように感じられたが、実際の時間の経過はさほどではないはずだ。いまのいままでむつかしげに眉を寄せて黙りこくっていた白哉が、なにかを決意したふうに顔をあげた。
「恋次」と、まっすぐにこちらを見る。「……私になにか、言うことはないか」
「…………は、」
 いえなにも、とは、さすがに返せない。
 厳密には言いたいことは山ほどある。が、はたしていまこの瞬間に、白哉がなにを求めて恋次にそう問うているのかはわからなかった。なにか要らんことを仕出かしただろうかと考えるとまぁ思い当たる節もいくつかあるが、謝罪を求められているとは限らないし、そもそも白哉は、怒りは怒りとしてきちんとぶつけてくる実直な性格だ。こんな遠まわしな窘め方はしない。
 なにがあったのかは知らないけど、出来るなら相談に乗ってやってほしいんだ。
 言うべきじゃないのにうっかり口から零れそうになっちゃうくらい、なにか伝えたいことがあったんじゃないの?
 浮竹と弓親の言葉を思い出し、恋次は考える。はたしてここで伝えて良いタイミングなのかはわからないし、こんな言葉遊びのような問答は好きではないのだが。
「……隊長こそ、俺になにか言いたいことはないんすか」
 言ってみた。
 互いに黙って相手の出方を待つ、これではまるで喧嘩でもしているようだった。そうではない。口論をする意味などこれっぽっちもないのだ。回りくどい駆け引きは性に合わないなんて、考えるまでもない。
 なにか悩みごとがあるなら言ってください! 俺、隊長の役に立ちたいんです!
 これだ、これで良い。難しい文面も、曖昧なごまかしも必要ない。ストレートに行こう。それがいい。
 慣れない空間に放り込まれたせいで動転していたが、もうだいじょうぶだ。心を決めて顔を上げた恋次に、しかしそれより先に、
「……――なにか悩みがあるのではないかと聞いた」
 白哉がぽつりと漏らした。
 は、と恋次は再びぽかんとする。今日はこの人に驚かされっぱなしだ、とどこか冷静に考えながら、彼の言った言葉の意味を解することに残りの脳みそを起動させた。なにかものすごい誤解とか勘違いとか、すれ違いめいたものを感じるのはたぶん気のせいではない。
「な、悩みって、俺が……?」
「違うのか」
「ちが、いませんけど……」
 たしかに違わない。悩んでいたというか落ち込んでいたというか、ちょっとばかり空回っていたのは事実だ。上の空というほどのものではないがたしかに覇気は落ちていたし、実際ちらりと顔を合わせただけの京楽にも「元気がない」と見抜かれていた。
 けれどだから、なんだって?
「え、っと……」これが勘違いなら非常に恥ずかしいなぁと思いながら、恋次は訊ねてみることにした。できるだけ、ストレートな言葉で。「隊長、俺のこと心配してくれたんすか?」
「…………」問いかけに白哉はどこか呆れたようにこちらを睨めあげた。「たわけ。毎日こちらを見ては溜息ばかりつかれて、気にせぬ者がどこにいる」
「そ、そんなに露骨でしたか俺……」
 それは申し訳ないことをした。いくら何事にも淡白な白哉だとはいえ、それでは怪訝に思わない訳がない。
 思わぬ事態に混乱しつつ、恋次はふと思う。つまり、自分が白哉のことを考えて心を沈ませているのを見た白哉は、恋次が悩み事を抱えていると思いそれの対応に心中を曇らせた。さらにそれを勘づいた浮竹と京楽が、恋次に支援ついでのアドバイスを寄こした。その結果、恋次は白哉の悩みを思い、さらに思いに耽ることとなる。
 これできれいに繋がった。
 気持ちはぐるりと一周していたのだ。
「ん、ん? あれ?」
「どうした」
「いや、それはつまり、ええと」
 考えれば考えるほど顔面に熱が集中しだすのを止められず、恋次はわたわたと不器用に言葉を探した。まだ一口も飲んでいない酒が、いつの間にか回ってしまったかのような気分だ。ひっくりかえって畳に頭でもぶつけてしまえば、いくらか楽になるかもしれないとさえ恋次は思う。
《ボクらじゃ『悩みなんか酒飲んで忘れっちまえー!』くらいのアドバイスしかできないもんねえ》
 京楽はたしかにそう言った。それを本当に白哉に告げたのだとすれば、彼は人生の先輩のアドバイスを、まさにそのまま実行したことになる。うまい酒でも飲めば、多少気がまぎれることもあるかもしれないと、そう思いこんなところまで連れだしたのだとしたら。
《れんれんが笑ってあげたら、きっとびゃっくんも笑ってくれるんじゃないかなっ!》
 やちるはそう言っていた。そうだ、それが答えだった。恋次が落ち込んでいたから、白哉の心も同様に落ち込んだのだとしたら。
「……はは!」
 そう考えると、照れくささと嬉しさとが入り混じってなんとも言えない気持ちになり、恋次は思わず声に出して笑った。白哉はすこし驚いたふうにこちらを見て、それから、ふっと肩の力を抜いた。少なくとも、恋次にはそんなふうに見えた。
 私服の白哉は死覇装姿よりやわらかい。かつての病室で感じた暖かみを、恋次はふたたび感じとって一層笑ったのだった。
 そんな恋次のようすを訝しげに眺め、白哉はしかし、まぁいいかというふうにひとつ息を吐くと、「飲まないのか」と言った。
「いただきます!」
 上質の酒は当たり前にうまく、無口な上司と交わす酌は思ったよりも楽しいものだった。
「隊長、今度俺の行きつけにも一緒に行きましょうよ」
 ゆるやかな半酔のなかで、恋次はふと思いついてそう提案した。口にしてから、あ、これはないなと思ったが、しかしかの人はこくりと酒を飲みほしたその喉で、顔色ひとつ変えないままに「いいだろう」と返したのだった。
 恋次はすべてのアルコールが体内から吹き飛ぶかと思うほど驚いたが、しかし白哉がとくに酔っているふうでも、冗談を言っているふうでもなかったため、素直に「やりー」と軽く喜んでみせた。あくまで軽い口調で告げねば、「本気ですか!?」と問い詰めた結果、なかったことにされてしまいそうだと思った。それはいけない。絶対にいけない。
 乱菊に連れて行かれることの多い、安い料理がうそのように美味い、小さくともこじゃれたあの店がいいだろう。あるいは、少しばかり見栄をはって、一度だけ行ったことのあるあの店にしようか。
 予定とも妄想ともつかない算段を脳内でわくわくと組みながら、恋次はほどよい緊張と幸福を感じ、からになった白哉の杯にふたたび酒をそそいだ。

* * *

 後日。
 酒の席での口約束とは思えないほどスムーズに、白哉との二度目の対酌の日がやってきた。これは恋次にとって嬉しい誤算だとか想定外の出来ごとだとかを通り越して、もはや奇跡にも近い感動を覚えさせるような事態であった。
 早朝からの勤務をはやばやと終え、いまはもう切ないほど上品な夕陽が尸魂界全体を平等に包み込み始める頃。隊服から私服へとモードチェンジした恋次は、ラフな格好でありながらどことなくぎこちない動きで歩を進め、朽木邸の前を行ったり来たりと徘徊していた。
 約束の時刻より随分と早くついてしまったため、仕方なしの時間稼ぎだった。よその家へ赴く際には、数分遅れて到着するくらいがマナーであることくらい恋次だって知っていたが、それでも勝手に気が急いたのだ。だだっぴろい朽木の家の外壁付近を不審者の如く歩きまわりつつ、恋次はそわそわと落ち着きなく、ついでにだらしなくへらへらした。白哉の個人宅まで直接お迎えにあがるなど、なんとも光栄な任務である。
 そんなふうにしている間にも、約束の時刻は迫ってくる。そろそろ門の方まで行ってスタンバイするかと思った矢先、
「ていやー!」
 恋次は突然背中を殴られた。
「痛ぇ!」と口にはしたものの、大した衝撃のない軽いパンチだった。恋次は驚いて背後を振り返り、そこに、腰に手を当てふんぞりかえった幼馴染の姿を見つけてぎょっとする。
「ルキア……」
「なにをぼーっとしておるのだ、ばか者。隙だらけではないか」
 それでよく白哉兄さまの副官が務まったものだな、と、ルキアはいつものとおりに勝気な視線を恋次に投げる。そう言う彼女は、稀に見る上等な生地の着物姿で、髪にはシンプルながらかんざしまで挿している。朽木の令嬢に相応しい、気品あふれる佇まいだった。無論、背後から突然拳をふるうような行動さえとらなければ、という前提つきではあったが。
 ルキアの背後には、やはり同様に、いや彼女以上に高貴さを前面に押し出す上司の姿。よくよく見れば、着物の裾にはルキアのものと同じ模様があしらわれており、彼らの関係の良好さをわかりやすく提示していた。
 実に見目麗しい義兄妹である。
 夕陽にほんのり赤く染まった白哉とルキアを目の前に、恋次はしばしその光景に見惚れさえした。これからこの二人を伴い、夕に沈みゆく街へ連れ出すのが他でもない自分だと思えばいっそうのことである。誇らしくも身が引き締まる思いを抱え、恋次はしかし、
「――ってちょっと待て! なんでお前がここにいんだよ!」
 予定になかった二人目の存在に、思い切りつっこんだ。
 ルキアはなにをいまさらという顔をし、「たわけ」といつものように生意気な態度で鼻をならしてみせた。「貴様の行きつけの酒屋に、そう易々と兄さまをお連れ出来るわけがなかろう。私がこの目でしっかりと確認し、白哉兄さまをお誘いするに相応しい場であるかどうかを判断し、ついでに酔ったお前が無礼を働くことのないようきっちり見張らせてもらう」
「ああ? なんだそりゃ! お前いっしょに行きたいだけだろ!」
「……まぁ、そうとも言うかもしれない」恋次の全身全霊の指摘に、ルキアはこほんとひとつ咳払いをしてみせた。「ともかく、兄さまから許可はいただいているのだから、貴様がとやかく言う権利は一切ない。わかったな、恋次」
 ここまできっぱりと言い切られると、恋次としてはなにも言えたものではない。確認するように白哉を見れば、彼は相変わらずのポーカーフェイスで、恋次の視線を受けても微動だにしなかった。
「それで恋次、いったいどこへ行くのだ? 実は私は酒屋というものをあまり知らなくてな、イメージだけで言うのなら、こう……」
「あーあー、お前が想像しているよりは、小奇麗でかわいげのあるとこだよ」
「なに? そうか、か、かわいいのか……」
「待て、たぶん今想像したような感じの店とも全然違う。絶対違うからな。あんまり変な期待すんなよ」
「む、変とはなんだ、変とは!」
「うおおい、殴るな! 痛え!」
 道中をはしゃぐ。かつてと変わらずに接する幼馴染とのやりとりは愉快で、恋次はルキアの攻撃を適当に受けながら、ゆったりとした足取りでとなりを歩く白哉を見た。かの人は先刻と同様、なにを考えているのか掴み取りにくい表情を浮かべ、ただルキアを――ルキアと恋次を見守っていた。
 思いがけず嘆息する。
 二人きりの予定が三人になったことが残念なのではなく、ただ、白哉がひどく嬉しそうなことに気付いてしまった自分に、溜め息をつくよりほかなかったのである。
 百年単位と京楽は言ったが、それで言うのなら、恋次の最初の一歩は今日踏み出したことになるのだった。

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