並んで歩くこと - 2/3

「うわー、ばっかだね阿散井。なんでそこでもっと強く出られないのさ」
 時刻は夜半過ぎ。場所は十一番隊舎、道場内。訓練という名の喧嘩騒ぎを思う存分に楽しめるよう、よその隊舎に比べて広く頑丈に出来ているその空間では、十一番隊恒例の大酒盛り大会が行われていた。
 数が多く柄も悪い十一番隊――通称更木隊の面子が一堂に会し、隊長・更木剣八のもとで一晩中飲み騒ぎを繰り返すという、非常にわかりやすい会合である。今はもう六番隊所属とはいえ、未だ十一番隊との交流が深い恋次も、時折この飲み会に誘われることがあった。ちなみに季節や行事を問わず高頻度で行われている宴会なので、参加頻度は極々稀である。
 久方に飲むかつての同僚たちとの酒は旨く、昼間の出来事をうっかり口にした恋次に、同席していた綾瀬川弓親の言葉は非常にわかりやすく辛辣だった。
「普通そこですごすご帰る? わかってないなぁーもー」
「わ、わかってないってなんスか、わかってないって!」
 それではなにか、なんでもないと言った白哉に向かって、いったいなんですか気になるじゃないですか遠慮しないでなんでも言ってください! と詰め寄れば良かったとでも言うのか。そんなこと出来るわけがないではないか。
 軽く酒の回った頭でそんな泣きごとめいたことを言う恋次に、ほぼ素面の弓親は「それは美しくないね」と真顔で返す。
「じゃあどうすれば良かったんすか。すごすご帰る以外に俺になにが出来ます? 強く出るってなんですか?」
「そんなことは自分で考えなよ」
 ぴしゃりと返す言葉は実に冷たかった。「なにがあったのか話してごらんよ」と優しい言葉で聞き出しておいて、結果この態度はあんまりである。「ひどいっすよー」と嘆く恋次に、同様にそばにいた一角が「うるせー」とやはり冷たいことを言う。
「だれだよこんなやつ連れて来たのはよお。こんなめめっちい男は十一番隊に必要ねー! 追い返せー!」
「そのめめっちいのがくよくよしているからって、景気付けに連れ出してきたのはきみだろ、一角。まったく、酒の席でこんなめめっちい話を聞かされた僕の身にもなってくれよ」
「聞き出したのは弓親さんじゃないっすか!」
 あとあまりめめっちいと連呼しないでほしい。ほんとうに悲しくなってきた。
 やけっぱちのようにあおると、すでに良い具合に出来上がった一角が良い飲みっぷりだと喜びさらに酒をつぐ。遠慮なく一気に飲み干した恋次に、先ほどとは打って変った穏やかな口調で弓親が言った。
「ま、僕らの視点から言えば、あの朽木白哉がそんな思わせぶりで半端な態度をとるってこと自体が意外だからね。言うべきことしか口にしないタイプだと思ってたけど、そうでもないの?」
「いや、まさしくそういうタイプですよ」
 言うべきこと、それも白哉基準での厳正な審査のうえで伝えるべきと判断したことしか口にはしない。無駄口とか雑談とか冗談とかそういった雑事は、はるか宇宙のかなたに置き去りにしてきたような口数の少なさである。あんなふうではいつか声帯が本来の機能を忘れて萎れてしまうのではないかと、場違いな心配をしてしまうほどだ。
 言うと、弓親はふうんと興味なさげにつぶやいた。なんということはなさそうな声色で、「それってさあ」と続ける。
「言うべきじゃないのにうっかり口から零れそうになっちゃうくらい、なにか伝えたいことがあったんじゃないの?」
 そんなことを言った。さらりと。
「…………」
 あまりに簡単に向けられた劇的な言葉に、恋次は思わず豆鉄砲を食らった鳩のように呼吸ごと動きを止めた。当の弓親はというと、そのようすを馬鹿にすることもなく、それどころか意外そうに目を丸めてみせる。「……どうやら本当に、すごすご帰るべきじゃなかったようだね、阿散井」
 その言葉で撃沈した。どうやらひょっとしたら自分は、思っていた以上に重要なタイミングとかチャンスとか分岐点とかそういった事象を流してしまったのかもしれない。
「ゆ、弓親さんんんんん~……!」
 あまりの辛さに思わず弓親へ泣きつく。不憫そうに苦笑する弓親は甘やかしモードに入ったか、「おーよしよし、かわいそうに」と恋次の頭をぽんぽんと撫でたが、しかしその手の感覚が伝わった次の瞬間には、傍らにいた一角に首根っこを掴まれていた。
「そこまでだ、酔っ払い」
「すみません、冗談です」
 首根っこ、というか首そのものを絞めあげんばかりの力加減に、素早く両手を上げて無抵抗を示す。酔っ払いはお互いさまだが、酔っているからこそ敵に回したくない相手もいるのだ。毎度のこととはいえ、酒の入った一角ほど面倒なものはないと恋次は思う。素直になるというか冗談が通じなくなるというか、非常に心が狭くなる癖は驚くほどにタチが悪かった。それも自身の相棒に関することとなればより一層なのだから、実に鬱陶しいことである。
「別に良いのに」とウェルカム姿勢だった弓親が軽く笑えば、「よかねーだろ」と不機嫌な声が返す。こんな調子の彼らに挟まれるのに慣れてしまっている恋次では、そりゃ重要なタイミングもチャンスも分岐点も、堂々と見逃してしまうというものだろう。駆け引きや細やかな機敏さなんて繊細なものとは、まったく無縁なのである。
 互いの愚痴こそよく聞くが、なんだかんだと言い合いつつも悩みなどなさそうな関係は実に羨ましい。これも百年単位で会得してきたものなのだろうか、と考えながら酒をすする恋次に、「しけた面してんじゃねー」と一角が背を叩く。
「ま、俺だってかわいい下っ端の悩みごとを知りながら蹴り飛ばすほど鬼じゃねえよ。ここはいっちょ、一番適切なアドバイザーってやつを紹介してやろうじゃねえか」
「はぁ……」
 首は締めるくせに、とひそかに思うが黙っておく。まったく期待していない視線を送る恋次に、一角は気付いたようすもなくぐいぐいとアルコールを体内に収め、そして声を張った。
「ふくたいちょーっ!」
 騒がしい道場内に響き渡るその一声に、「なぁにー?」とかわいらしい声が返される。どこからともなくひょこりと現れたのはもちろん、十一番隊副隊長・草鹿やちる。濃厚なアルコール臭と鍛え上げられた男どものどんちゃん騒ぎに支配された空間の中では、見事に異質を放ったまだ幼い少女である。
 幼い少女であるのだが、彼女もまた隊員たちと同様酒びたりの酔っ払いだ。知らぬものが見ればぎょっとすること間違いなしのものすごい光景だが、小さな身の丈に見合わないサイズの酒瓶をぐびぐびとラッパ飲みで消費しながら、やちるは平然としたふうに「どうしたの?」と首をかしげてみせた。
「副隊長の悩みは副隊長に聞けってな!」そんないい加減なことを言って笑う一角はどうも出来上がっているようで、ある意味では先ほどの仕返しのような気配もあった。肩をすくめた弓親が、クエスチョンマークを浮かべているやちるに言う。
「朽木隊長が悩みを抱えているらしくて、阿散井副隊長としては心配しているそうです。同じ副隊長同士、なにかアドバイスを頂けたらと思ってお呼びしたんですよ」
「えー、びゃっくんが?」
 そうなんだぁ、ふうん、たいへんだね、と恋次を見上げるやちるの視線は無垢である。言葉こそ軽いが、白哉のことを本当に心配しているようだった。恋次はぺこりと頭を下げる。「草鹿副隊長でしたら、もし隊長がなにかに困っていたらどうします?」
「剣ちゃんが?」
 問いかけに大きな目を丸めて、やちるはうーんと天井を見上げて首を捻った。いささか無理のある質問だったろうか、と恋次は思ったが(まずあの剣八が悩んでいるという仮定自体に現実味がない)、意外なまでにあっさりと結論を下したか、やちるは「あのねあのね」と恋次に向けて言った。
「剣ちゃんが困ってるときは、あたしが助けてあげるんだよっ! それでね、剣ちゃんが疲れたときはあたしがおぶってあげるし、剣ちゃんが笑ってるときはあたしも楽しいから、あたしが笑ってるときは剣ちゃんも楽しいんだぁ!」
 にこにこと満面の笑みを浮かべながら、やちるは恋次を見上げて言う。「だからね、びゃっくんが困ってるなられんれんが助けてあげて、れんれんが笑ってあげたら、きっとびゃっくんも笑ってくれるんじゃないかなっ!」
 そんなふうに言って、きゃっきゃと笑う。いつの間にやらそばに座っていた剣八に視線を向けて、ねー剣ちゃん、と同意を求めた。
 ちいさな副隊長に無邪気な言葉をかけられ、剣八はその強面をしかめてぐいっと酒をあおってみせた。照れ隠しでもないだろうが「んなこたぁねーよ」とぶっきらぼうに返す。「大体おめえ、あれだ、おめえが笑ったからっつってあのボンボンがへなへな笑ったりしてみろ、きもちわりーじゃねぇか」
 身も蓋もなく言い放つ、剣八のその言葉はまったくそのとおりだった。恋次がへらへらと笑ったところで、白哉の悩みごとが解消されるわけはもちろんないのである。無論、やちるの笑顔と剣八の笑顔が等号でないことも当たり前のこと。
 けれどやちるの言葉はそれでありがたく、恋次はふたりに向けて頭を下げた。隊長あっての副隊長、副隊長あっての隊長。彼らはこの言葉をしっかり体現している。羨ましいとさえ感じるほどに。
「そもそもお貴族の悩みなんざ、俺らみてーなのがどんだけ頭捻ってもわかるわけねえだろーが。考えるだけ無駄だ、諦めて精々こき使われてりゃいいんだよ」
「はは、そっすね」
 いっそ清々しいほどの明確な言葉に、恋次は笑って首肯した。一度十一番隊に所属したものは、たとえどこの部隊に移動になったところで更木隊に変わりはない。いつか誰かが言ったそんな訓えを思い出した。
 懐かしさもへったくれもないほど、今なお仲間として受け入れられるというのは、ありがたいことだなぁとしみじみと思った。もうちょっと酒が頭に回っていたら、思わず口にしてしまったかもしれない。
 そんなことをぼんやりと思い感慨に浸る恋次のそばで、けれど一角が唐突になにか思いついたように「あ」と手を打った。実に妙案だというふうに剣八に進言する。
「でも意外とどーでもいい悩みかもしれませんよ? ほらあの、昆布みたいなキャラクターがうまく描けないーとか」
「あああれか、えーと、なんだ、もずく大臣だったか?」
「違いますよ隊長、たしかモクモク王子かなにか……」
「えー? ワサビ太郎じゃなかったっけ?」
「わかめ大使です」インパクトの割に曖昧な印象付けらしかった。「つーか人の隊長をなんだと思ってんですかあんたら」
 たしかにあのキャラクターはないと恋次も思う。思うが、本人が気に入っているのだから笑いのネタにしないでやってほしいというのが切実なところだ。正直、どう扱えばいいのか恋次も測りかねている。
 まあたしかに、その程度の悩みごとである可能性もないではない。真顔で「恋次、わかめ大使の眉の部分がどうもキまらないのだが……」などと相談してくる白哉を想像し、恋次はひとりで吹き出した。それはそれでこちらも曖昧な返答はできないだろうと思うと尚更である。
 そうしてわかめ大使により収束に向かいつつあった恋次のお悩み相談話は、道場内の一部がどっと沸き、同時に上がった「綾瀬川五席ぃー!」という喝采によって完全に四散する。
「綾瀬川五席! 新入りが五席になら勝てるんじゃないかとか言ってまーっす!」
「五席、ぜひお手合わせを! こいつ五席のこと舐めてやがります! 思いっきり絞めてやってください!」
 どうやら隊に入ってまだ日の浅い新入りが、弓親に飲み比べを挑むようなことを言ったらしかった。新入りさんらしい発言である。素面めいた弓親は決して飲めないのではなく、どころかすでにそこそこ飲んでいることを、恋次はよく知っていた。酔うまで飲まないのは美しくないからで、飲んでも酔わないのは強いからだ。いまだ恋次は一度だって、彼が飲みつぶれたところを見たことがない。
 そんな五席と、能力未知数の新人との勝負イベントである。稽古場内が一気に盛り上がるのは当然で、隊員たち全員の目が弓親を含む恋次たちの方に向けられた。宴会独特のテンションが渦を巻く。
 けれど当の弓親本人はというと、響く「綾瀬川五席コール」に見向きもせず、それどころか面倒くさそうに眉を寄せてみせた。「たいちょー変わってくださいよー、僕あした早朝出だからあまり飲みたくないんですー」
「あ? ンだよ面倒くせーなー。仕事なんざ適当なやつに代わらせといてやるから、さっさと行ってこい」
 しっしと手を振って剣八がそう返すやいなや、弓親の態度が急変した。本当ですか!? と目を輝かせる。「絶対ですからね? 忘れないで下さいよ?」
「んあ? ああ」
「やった! 一角、丁度良いじゃん。明日例の呉服屋連れてってよ」
「明日かよ。チッ、酒抜かねえと煩えんだよなあのババア」
「……おい待て、早朝勤を代わるだけで仕事は、」
「隊長! 更木隊の名誉にかけて、新入りの根性鍛えなおしてきますから! 約束忘れないで下さいね!」
「…………」
 跳び上がってキラキラ輝く弓親の笑顔はやる気満々である。隊長に有無を言わさぬ五席というのもなかなか見られはしない光景だろうなあと、恋次は他人事のように目を細めた。大体、五席が休みの日は三席も休みだなんてルール、十一番隊にしか存在しないだろう。
 あまり関わってとばっちりを食らいたくもないので、おそらく明日バケツ片手に訓練に励むことになるであろう渦中の新入りに、精々死なないよう心中で合掌するにとどめておく。急性アルコール中毒をなめてはいけない。
 けれどそんな恋次の予想に反し、意外と飲めた新入りくんが思った以上の奮闘を見せたその結果、まさかの綾瀬川五席敗退という伝説が打ち築かれたのはまた別の話。思い出したくもない悪夢である。

* * *

 朝陽のとうに昇った時間。
 目覚めてすぐ、紛れもない自分の寝室で眠っていたことを確認して安堵する。記憶が飛ぶほど飲むなどガキのすることだと頭ではわかっているのだが、如何せんあの面子が絡むとなかなか解放してくれないから困りものだ。これが乱菊や修兵といったよその先輩陣相手なら、こちらが面倒を見る側なのでここまで酷いことにはならないのだが。
「つーか、何時だ……」
 間違っても早朝ではないが、真っ昼間ということもないだろう。時刻を確認すればたしかに、普通の人間ならとうに活動を開始している時間帯だった。けれど恋次は死神で、ついでに今日は仕事が入っていないのだから、再び布団に転がっても誰にも怒られはしない。気楽な話である。
 二日酔いで重い頭をどうにか起こし、技術開発局特製の丸薬を口に放り込む。転がっていればじきに楽になるだろう。ばたりと横になり、そういえば今日のこの休みに布団を干そうと思っていたことを思い出した。
 ぼんやりと開いた視界を動かす。窓の向こうは晴天で、今日を逃して一体いつ干すのかと囁かんばかり。
 面倒だが仕方ない。ほかの洗濯物と違って、布団をふかふかにさせるには太陽の光が必須だ。昼間に干して陽が落ちるまでに取り入れるのは鉄則である。寮生活は長いが、副隊長ともなればさすがに一人部屋。気楽だが用事を頼む相手がいないというのは時折不便だった。
 重い頭に乗りかかった髪がいやに重く、もういっそ切るか一角のように丸めてしまうかなどと半ば本気で考える。大雑把に下ろしっぱなしの赤い長髪を適当な位置でくくりながら立ち上がり、
「…………?」
 恋次はなんとなく首をかしげた。ねぼけまなこで頭をかき、頭を振る。いやいや、となにか否定をするように。
 けれど続けて、彼はビクリと背筋を伸ばした。なんとなくシャッキリしなければならないような気配を感じたのだが、それが勘違いであることは他でもない恋次自身がよくわかっている。なんだかものすごくよく知った霊圧の近づいてくる感覚がするけれど、それが勘違いであることは、他でもない恋次自身がよくよくわかっているのだ。
 ――どういうわけか部屋の外がざわざわと騒がしいような気もするが、それが勘違いであることは、他でもない恋次自身がよくよくよく分かっている、はずなのだ。
 そっと玄関先に視線を送る。いやいや、ないない、と、ごく近い距離から感じるかの人の霊圧を、身体で感じながら頭で否定する。
 コツコツ、と普段ならば気付かないのではないかと思うほど小さな音で、部屋の扉が叩かれた。
 引き戸の向こうから、よくよく知った声が「恋次」と一言呼んだ。
 その声が届くか届かないかというタイミングで恋次はダッシュで入口まで向かって襖を開く。そこに突っ立っている男の手を掴むと強引に室内に引っ張り込み、ぴしゃりと戸を閉めた。
 わずか数秒。
 寝起きで二日酔いの自分や汚い部屋を見られることより、この乱雑とした男子寮内で彼が見世物状態になることのほうが耐え難いと判断しての、とっさの行動だった。
「…………な、な、なな、な」
 さすがに驚いたのかほんの僅かに瞠目しているのは、夢でも幻でもなく朽木白哉そのひと。なにごとか、というふうに恋次を見上げる視線は相も変わらず不遜で我に敵なしと言わんばかりの堂々とした佇まいだが、その姿がこんな場所にあってはならないのは言うまでもない。
 玄関先に突っ立った彼のその手をつかんだまま、恋次はわなわなした。なんと口にすべきかわからず、結局黙って手を放す。深呼吸。深呼吸。深呼吸。
 吸って吐いてを繰り返せば、混乱していた状況がなんとなく見えてくる。上質そうな和装をはおった白哉はどう見ても私服で、とりあえず自分の判断が間違っていなかった確信は得た。六番隊長にして朽木家の当主が、こんなヒラから上位席官までよりどりみどりの独り者たちが集う隊員寮などにひとりで、それも私服で現れるなど言語道断。どうぞみなさん話のタネにしてくださいと言わんばかりの愚行である。俗世の事情に疎いことは容易く想像できるが、ほんの少しくらい一般人の目線に立って、自分がどれくらい目立つ存在なのか考えてみてほしかった。
 いまにも「もっと考えて行動しろ!」と怒鳴りつけそうになる自分をどうにかこうにか押さえつけ、「……どうしたんすか」とだけ問う。白哉はそれには答えず、「寝起きか」とつぶやいた。いったい何時だと思っている、と声に出さずに視線で訴えてくる。
「休みの日くらい寝かせてくださいよ」
 口にする言いわけも思いつかないので開きなおってそう言うと、白哉は意外にもあっさり「そうだな」と言って引いた。六番隊副官としての自覚云々を滾々と言い聞かせられるのかと身構えていた恋次は拍子抜けし、しかし確かに、わざわざ説教をするためにこんなところまで来る上官はいないだろうと思いなおす。
 ではなんなのかと疑念を抱く恋次に対し、白哉はただ一言「出かける支度をしろ」と言った。
「……は?」
「外出すると言っている。髪を整え、服を着替えろ」
 今すぐにだ、と白哉は言い放つ。
「は、え? どこ行くんすか? つーか隊長、仕事は?」
「休暇をとった」
 簡単に言うその言葉は、しかし端的なわりに天地がひっくりかえるような衝撃発言だった。恋次が白哉の下に就いてまだ日は浅いが、それでも彼の勤務日数が異常値をたたき出していることくらいはわかる。基本的に白哉の休みの日というのは、貴族会議などの朽木家当主としての仕事の日なのだ。
 よもや恋次の家に来るためにわざわざ休みをとるような真似、この男がするわけがない。確信をもってそう言える自分が少し悲しかったが、とりあえず考えられそうな可能性を絞りだしてみた。
「ひょっとして、と、特殊任務とか?」
「…………」
 私服で働かなければならない理由はほかに見当たらなかったが、黙って少しばかり眉根を寄せた白哉の表情から、どうやら違うらしいと察する。身分を隠しての特殊な任務なんてシチュエーションにはちょっと憧れたりするわけだが、とにかく、どうも本当に休暇を取って来たらしかった。理由はわからないが。
 そもそも隊長と副隊長がそろって不在というのはだいじょうぶなのだろうか。六番隊は隊長の手際が良すぎるせいか、どうも下の頼りない部分がある。基本的には気真面目な隊風なので、白哉の不在のときにこそと張り切る者も多いが、なにか空回りしているのだ。
「私用があったか」
 と、急に白哉が言った。それがこの唐突な訪問に不備があったか、という意味だと察し、恋次は首を振る。先に連絡くらいは欲しかったところだが、ここまで不意打ちで訪問されてはぽかんとするしかないというのが本音で、実際のところつまり、恋次はぽかんとしっぱなしだった。もちろん、なにか用事があったところで全部キャンセルするだろう。
 そうか、という白哉の表情は変わらず、特に安堵したふうではない。それどころか、ならば早く支度しろと言わんばかりの気配である。単純に出掛ける用がないか確認しただけ、というようすに少しばかり戸惑いながら、恋次はふいに思い出して「あ」と言った。外出するのはかまわないが、ひとつだけやらねばならないことがあったのだ。
「布団、干してからでもいっすか?」
「…………」
 白哉は押し黙り、若干訝しげな表情で恋次の肩越しに室内を覗き込んだ。己の名誉のために言っておくが、恋次の部屋はよその隊員たちに比べればきれいにしている方である。もちろん、朽木家当主の部屋と比べれば良くて物置、下手をすればゴミ捨て場みたいなもんかもしれないが。
 彼にしては記録的なほどめいっぱい表情をつかってぎょっとしてみせながら、白哉は長い沈黙ののちに、かまわん、とだけ言ってそれからひとことも喋らなくなった。一般市民との生活のギャップがそんなにもショックだったろうか、と恋次は考えながら、とにかくそんな衝撃的な部屋からは早く出してやったほうが良いだろうと思いなおし、手早く外出の用意をはじめることにした。

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