太陽をつかんでしまった

 あの者を陽のようだと表す輩は数多くいたが、三成には、はたしてそうは思えなかった。
 そもそも三成は陽光が嫌いだ。ひどく眩く、落ち着きがないように思える。言語など解さぬくせに妙に喧しいのだ。空の真ん中に我が物顔で陣取るさまはなにやら図々しささえ感じられ、なるほどたしかに、そういった意味ではかの男と共通する部分もあるのかもしれなかった。
 ともかく、三成は太陽を疎ましく思う。その存在の有用性は無論理解しているが、心理的に好かないのだからしようがない。夏の地を照りつける日光は言わずもがな、真冬にさえ時折顔を覗かせるそのさまときたら煩わしいにも程がある。空気を読めと言いたい。もっとも、三成はけして冬季を好んでもいないので、凍える空気を僅かなりともやわらげる功績そのものは無為ではないと思えるのだが。
 それに比べてかれ、つまり家康はどうかというと、じつのところ三成は、かの東照のことが別段嫌いではないのだ。
 とはいえ、それでは好いているのかと問われると返答に窮するところではある。三成の抱える好意には種類が少なく、まず豊臣にとって利のある存在であるという第一条件さえ突破出来たならば、それだけでひとつの「好感」に変換されるのだ。その意味で、徳川家康は一切の文句なく、石田三成に好意をそそがれるに値する人物だと言えた。個の力量も軍の統率力も申し分なく、豊臣に名を連ねる者として恥じることのない功績を収めては日々その立場を固めつつある。三成にしてみればその戦果は当然のものなのだが、しかし、その当然が出来ぬ者とて世の中には在るのだ。そういった愚昧な連中はすべからく三成に、あるいは秀吉自身の手による湮滅を避けられはしないので、つまりこの場に存在出来ているということそれ自体が、徳川家康という武将の評価の表れであると言えた。
 三成は家康を厭ってはいない。秀吉の手のうちにあるものは総じて宝だ。それを倦厭するなどもってのほかである。逆に言えば三成にとっての家康への好意はそれ以上でも以下でもなく、どちらかといえば常に頭上にある太陽の方が、目に付くそのぶん煩わしく感じられるほどだった。
 けれど家康の方はというと、こちらはどうにも、三成のことを存外好いているように思えるのだ。
 家康は戦場に立ち尽くす。呆然とするのではなく、なにかを感じ入るように、両の足でしっかと地を踏みしめてじいっと立っている。その背を見つけることが三成は不思議と得意だった。けして探しているわけではないのに、なぜか視界に触れてしまうのだ。すでに勝敗を決した戦場でかれはそうやって無防備に佇み、その場に残った死の空気を吸い込もうとする。無論、周囲に敵兵はいない。かつて敵であったしかばねの群れを前に、家康は拳を降ろし黙祷するようにその場から動かなくなる。
 愚かなことだ。いくら制圧を終え、敵軍に戦意が残っていなかろうと、それは大局での出来ごとでしかない。隠れ潜んだ敗残兵がふいに現れることもあると、そんな予測も出来ないほど不知ではないはずなのだが。
 それでも家康は立ち止まり、そして見やるのだ。己がもたらした死の山道を、むくろの連なる冥府への進行を、それらすべてを見届けんとするかのように。
 三成にはそれが気に食わない。焼野に堂々と屹立するその姿は、むしろ秀吉の臣として相応しいものであるはずなのに、その視線が悔恨を含んでいることは明白だった。そのような醜態を晒すな。汚れを拭え。そして秀吉様へと勝利をご報告出来ることに歓喜しろ。言いたいことは山のようにあるが、三成はともかく、家康、とかれの名を呼ぼうとした。そうしなければこちらを振り返りさえしないのだ、やつは。
 そう考えつつも三成の口から飛び出たのはしかし、
「私は貴様のそういうところが嫌いだ」
 という、名でも叱咤でもない、ただただ実直な罵倒であった。
 見返る家康の顔はきょとんとしている。当然だ。背後から脈絡なく罵られて、誰も良い気などしないだろう。けれど「なんだ、三成か」と零すかれの表情は明らかな友好と安堵を孕んでおり、この顔を向けられるたびに三成は少しばかり困惑する。謗られて微笑むなどわけがわからないが、たとえ三成がただ名を呼んだだけでも、振り返るかれは同じように笑んでみせるのだ。まるで気の置けない友にでも出会ったかのように。
「……なんだとはなんだ。貴様、いつまでそこで惚けている。豊臣の将ともあろう者がかばね如きに心を留めるな。無様極まりない」
「ああ、うーん、分かってはいるんだがなぁ……」
 言いながら家康は無造作に頭をかこうとして、しかし汚れの染みた手甲に気づきそっと手を下ろした。
 その拳で屠ったのだ。
 かれがなにを思い、なにを悔やもうと、事実は事実として眼前に横たわる。
 それを認めぬことは愚かだ。とはいえ、少なくとも家康は、現実を闇に拒絶しているわけではないはずだった。ただ目の前の景色を見つめること、それ自体がかれにとって、なにか意味のある行為なのだろう。心の弱い者は、すぐにそうやって道を振り返るのだ。
 しかし家康は見つめるだけでなくむくろそのものにさえ手を伸ばす。力なく横たわったそれにかすかに触れ、そうして言う。
「こんな時代でなければ、取り合えたかもしれない手だ」
「……」
「ワシは人が好きだよ、三成。今まで出会ったすべての者たち、そしてこれから出会うかもしれないすべての者たちのことを、ワシは愛しく思っている。いまは亡きかれらとも、戦場以外の地で出会えたかもしれない。語り合い、理解し合い、友と呼び合えたかもしれない。絆を結び得たかもしれないんだ。それを思うと、悔しくてたまらない」
「……」
 三成は嘆息した。
 まったくもってうんざりであった。
 家康の語る言葉の多くが三成には心底理解できない。したいとも思わないし、その必要も感じない。それがどうした、と言ってやりたいがそれすら面倒に思えるほど、かれの言い分はじつにどうでもよいものばかりだった。
 けれど目の前の根っから腑抜けた男は、放っておくといつまでもこの場に留まり続けかねないし、そうでなくともこれ以上やつの演説を聞かされるのなどまっぴらだった。家康の口から妄言の続きが紡がれるより先に、三成は断言する。
「貴様の追悔になど興味はない」
 もう幾度告げてきたか知れない言葉に、かすかに伺える家康の横顔が苦笑いを浮かべた。そう言うと思っていた、と返されているふうで、三成はいっそう辟易する。手に負えない、と思う。
「仮初の未来を夢想してなんになる。貴様の戯れ言を借りるとするならば、その連中との紡織を裁ってこそ豊臣と縒る道があると考えろ。それで全て収まるはずだ。分かったらその自分勝手な感傷をいちいち尸所へと手向けるな、辛気が湧く」
「……ああ、そうだな。その通りだ」
 こんな言葉をかけていては、浄土へ向かうものも留まってしまいかねないものな。
 そう言って家康は薄く笑んだ。分かればよいのだ、と三成は鼻をならすが、しかし、この男がまことに理解しているかどうかは疑わしかった。どうせ、またすぐにかれは立ち止まるだろう。じっと地に根付くように両足を踏み留め、そうして起こり得ない夢を見るのだ。戦に果てた者と手を取り、僅かばかり残った心根を拾い集めて慰め合う。寂しい男だ、と三成は思う。すでに終わりの地を過ぎ去った者たちと語らうその姿は、ひんやりとしてひどく空しい。
 こんな陰気な男が陽であるものか。三成は思いながら踵を返した。背後からゆっくりと追ってくるかれの気配を感じて、世話の焼けるやつだと心底呆れ果てた。

 豊臣の猛攻は歯止めの利かぬ嵐のようであった。
 覇王率いる侵攻軍に抗するすべなどこの世にはなく、小枝も大樹も意に介さぬふうに裂かれ、散乱し、それでも折れなかった強き根のみが力の元へと集うことを許される。そうやって強大な風雨はより能力を蓄え、じき日の本の総てを制すべく激しいうねりを続けていた。中央に秀吉を、その軍師たる半兵衛を、そして左腕三成を据え、更にそこに並び立つ者の中には家康の姿がある。徳川が豊臣に降って直後はかれを蔑する声もあったが、それらはもはや過去の残滓であるといえた。敗軍の将たる家康の活躍はしかし目を見張るものがあり、次々と功績を挙げ立場を定めゆくそのさまを目に焼き、投降を決意する国すらあった。豊臣の兵の中にも家康を慕う声が少なからずある。
 三成は、それを良きことと考える。
 家康の誉れは秀吉の誉れだ。それを喜ばしく感じないわけがない。豊臣に利する者にこそ三成の好意はもたらされるのだ、その思いに虚偽はない。
 しかしである。
 いつにも増して苛立ちの勝った足取りで長い廊をずんずんと歩みながら、三成は顔をしかめた。屋敷の中で無意味に殺気立つ自らを戒する気持ちもないではないが、幽鬼の如く歩行する三成にわざわざ近寄る者はなく、他人に無意味な言葉をかけられる事がないのは僥倖と言えた。ほんの挨拶とて、今は誰とも交わしたくはない。
「刑部、いるか」
 目的の部屋へと到着し、足を止めるやいなや三成は問うた。急な来訪であるにも関わらず、襖の向こうから返った返事は別段驚いたふうもなく三成を迎え入れる。或いはかれにとってこの程度、突然のことではないのかもしれないと三成は思った。そろそろやってくる頃合いであろうと、前もって推し量っていたのかもしれない。あり得ない話ではない。
 襖戸の奥には見慣れた姿があった。どうやら書を捲っている最中であったらしい。文机の前で胡座をかくその姿に、三成は眉をひそめた。「伏せっていると聞いたが」
「なに、ほんの一時のことよ。ぬしの方こそ、西へ西へと軍を率いている道中と思うていたが、どうやらわれの読み違いであったらしい」
「いま戻った。加減は良いのか?」
「ご覧の通りよ」
 大げさに両手を広げて見せた吉継を、三成はじいっと眺めた。相変わらずの包帯姿ではあるが、変わらずということは悪くはないのだろう。なにより当人が云う限りは違いない。三成はその場にどっかと座り込んだ。ヒヒ、と機嫌良さげに吉継が笑った。
「加減と申せば、ぬしの方こそ幾分よい加減であると見える。はて、暫く見ぬうちに体質に変容でも来したか。或いは病か、まじないか」
「なんの話だ」
「なに、どうも血色がよいと思っただけのこと」
 三成は今度こそ盛大に眉を寄せた。気分を害しているにも関わらず顔色は優れているという、指摘された現実に頭痛を覚えた。
「刑部、貴様一刻も早く前線に復帰しろ。そして私の隣に立て」
「云われずともそのつもりよ。とはいえ、こればかりはわれの一存で決するものではないゆえ」
「無論だ、半兵衛様の指示に異を唱えるつもりなど毛頭ない。これはただの私の望みだ。私の意志だ。そうあれと願うことは愚かと笑うか?」
 吉継は少しばかり押し黙り、それからゆるゆると首を横に振った。同時に、包帯の隙間から覗くふたつの目が、三成の心を問うべく向けられる。まるですべてを見透かすかのような眼差しだ。それを恐れる者もあると聞くが、しかし三成にそのような感情は無縁であった。もとより、見られて困る心など持ち合わせてはいない。先の言葉にも偽りはなかった。
「徳川であろ」
 と、ぽんと放り投げるように唐突に、吉継の声が云った。
「ぬしの不機嫌、ぬしの顔色、ぬしのまことの言葉、すべてあの田舎狸が原因と見える。此度の行軍はそれほど愉快な旅路であったか。われへの見舞いに、土産話をあまた携えきてくれたか」
「……刑部。私は貴様を恐れた事は一度もないが、その物言いがどこまで本気かを考えると、ときおり無性に腹立たしく思うことがある」
「ヒヒヒ、ならば贅句は控えるとしよ。やれ、語るがよい三成よ。土産であれ嫌気であれ、聞く耳に大差はないわ」
「……」
 そう云われたところで、三成にわざわざぼやきたいような物事はないのだ。
 しいて云えば、家康の執る戦はひどく手緩く惰弱なものであるという、とうに分かりきった事実くらいだ。無益な血を流すな、無闇に戦禍を広げるな、戦意を失った者を庇護しろと、やつはいちいち声高に号令をかける。そうして三成が首を取るより先に、敵将から降伏状を取ってくるのだ。
 なるほど確かに、やたらに人員を失うことは得策ではない。三成たちの預かる兵は豊臣の財産だ。戦を長引かせ消耗することは避けねばならない。とはいえ、和平を提唱し敵兵にまで情けをかけ、あろうことか大将首まで見逃すなどわけがわからない。詰め寄る三成に、家康は堂々とこんなことを云う。
「此度の命は制圧であって殲滅ではないはずだ。半兵衛殿は、全ての兵を根絶やしにしろと仰ったか? 首級を持ち帰り捧げてみせよと、そう仰ったか? ワシはそのような指示は受けていない。無論、秀吉殿がそうせよと申されるのなら従おう。けれどそれは大坂へと帰参してからの話だ。それまではかれらを豊臣の兵と同様に扱うよう、三成からも皆に伝えてほしい。なあに、拳を交えてみればじつに立派な御仁じゃないか。そしてそんな大将を信じ、最後まで戦った猛者たちだ。きっと今後、ワシらにとっても掛け替えのない仲間となってくれる」
 責任は取ると断言する家康は、声音こそ飄々とさせながらどこまでも頑なであった。そしてなにより三成自身、半兵衛の命令に纖滅の文字がないことの意味を理解していた。このところの家康は豊臣での立ち位置をいよいよ確固たるものに定めており、家康独自のやり方というものを隠すことなく振る舞っている。滅するばかりの戦では先はないと、あろうことか秀吉そのひとへと策戦の是非を問うことさえあった。
 無論、狸が一匹喚いたところで巨大な地盤はけして揺るがない。今回のことにしても、半兵衛の決定には明確な考えがあるに違いなく、異論など憶えようはずもなかった。家康の報告に秀吉は一瞥をくれただけで、くだんの「立派な御仁」は豊臣の傘下に降った。かつての敵将も豊臣のものとなれば価値を持つ。いずれ三成のもとで他国を攻める日もあるかもしれない。
「三成よ、われが思うに此度の出陣、ぬしと徳川の双方に任せたのはおそらく」
「家康に私を留めてなお敵将を取り込むほどの力があるか、それだけの覚悟があるかを試されたのだろう。その程度は分かる」
「ほう。ではなにを苛立つ。太閤の思惑どおりことが運び、怪我もなく和やかに遠征を終え、やれ喜ばしきこと限りなし」
「戯れるな。貴様、分かっていて聞いているだろう」
 吉継の笑い声に、三成はくちびるを噛んだ。
 家康と自分とでは性質に大きな隔たりがある。三成はかれの生温いやり方を嫌悪するし、家康は逆に、三成の苛烈さを少し控えるべきと主張する。秀吉の為に生きることこそを至高とする三成に対し、家康は己のために生きろと宣う。けして相入れぬ思考と、そして思想のもとにふたりはあった。誰が見ても歴然とした相対性を前に、しかし半兵衛が与えた指示は互いに影響し、補い合うことだ。吉継の云ったように、三成がなにを望もうと、半兵衛がひとこと家康と組んでの出陣を命じたならば、それはまったく避けようのない形で実現する。
 無論、そのことに文句などつけようもない。他でもない半兵衛の告げること、きっと己と家康は、影響し、補い合う、といった役割を互いに必要としているのだろう。ならば幾らでも影響してやろう、補ってやろう、そう決めた。三成のその決意はけして生半可なものではない。
 しかしあれだけは耐えられない。三成は膝の上で握った拳を知らず震わせた。思い出すだけで意識が遠くなるように思えた。
「……あの男、よりにもよって私に飯を食えと云うのだ」
 西を制しつつある豊臣の行軍だ。兵糧には事欠かない。とはいえ、そもそも食に対して無欲なたちの三成は、最低限の水と僅かな干し飯でもあればそれだけで充分であった。強がりでもなければ、己の分け前を他の兵に配ってやれなどという配慮でもない。ただただ、不要なのである。胃に物を溜め込んでいては、むしろ身体が鈍るとさえ考えていた。
「それをあの男は、やれ体調に障る、やれ食わねば保たぬなどと嘯いて、不躾にずいずいと押しつけてくる。あまりの喧しさに耐えかねて食らってやれば、すぐさま図に乗っていっそう持ってくるのだからたまったものではない」
 握り飯だけでも幾つ食わされたか分からん。
 三成の言葉に、吉継は「食ったのか」と問う。からかうような声音に、「食った」と返せば、かれはいよいよ愉快そうに笑い声をあげた。
「なるほどそれは血色も良くなると云うものよ。いや三成、ぬしは食を怠りすぎるきらいがある。われとて常々気にかけてきたが、そうかそうか、無理を云えば食らうのか」
「ふん、貴様はなにも云わんではないか」
「ぬしの度が過ぎればな、われとて徳川の真似をも辞さぬ覚悟よ。とはいえ……」
 ふいに言葉を切り、吉継は自らの顎に手を添えた。フム、とかれはなにかに相槌を打つかのように頷き、ちらりと三成のようすを見やった。
「徳川のそれが厚意のみに因るものとは、われには思えぬがな。先の侵攻、己の腕と理念が試されていることなど徳川自身も勘づいていたはず。よもやぬしの腹を満たして隙を作るなどといった莫迦げた策ではあるまいが、あれの趣味は薬を調えることと聞く。手ずから与えられたものを無暗に口にするは、少々無謀と思えるが」
 三成は少しばかり驚いた。それは驚嘆というよりは、吉継の発想そのものへの疑念に近しい感情であった。僅かに首を傾げ、それから云う。
「案ずるな。家康はそのような真似はしない」
「……」
「あれは見た目のままの愚直な男だ。あのような目出たい頭で卑怯な真似など思いつくわけもない。保身のために猜疑をかけるなど、それこそ時間の無駄だろう」
 むくろを眺めるあの背。戦場の陰を負いながら、かれはいまでも佇んでいる。いつか繋げたかも知れないと語る手を、それでも豊臣の為に振りかざし続けているのだ。
 三成は家康のやり方を手緩いと思う。拳を振りあげておきながら、相手が屈服するのを待ってやる、その神経はけして理解できるものではない。けれど認めてはいるつもりなのだ。その腕を、その決意を。豊臣にとって、かれの存在はもはや無くてはならないものだ。
 ふと、三成の言葉に黙り込んでいた吉継が口を開いた。「太陽か」と、まるで独り言のような、ごく小さな声音でかれは呟いた。
「あれはじつに恐ろしいモノよ。沈んでも、沈んでも、いずれ必ず昇ってきやる。自らの意志と、その姿に惹きつけられた者たちの切なる祈りによってな。その剛胆さ、並々ならぬしぶとさが、われには気に障ってしようがない」
 三成よ、とかれは云った。あの、すべてを見透かす両の目をこちらへ向けて、にこりともせずに云い放った。
「太陽を間近で見てはならぬ――幼子でも自然と得る知恵よ。見つめ続ければ双眸が眩み、あっと云う間に潰えてしまう。その背を追うな。その光を追うな。掴もうなどとは、夢にも思うな。ぬしにそれが耐えきられるとは、われには到底考えられぬ」
 吉継の言葉を、三成は黙って聞いていた。しばらくの間その暗いまなこを見つめ返し、そうしてから、喉の奥でかすかに笑う。「貴様もあれを陽と呼ぶのだな」
「はてさて、なんのことやら。われは好きに云い噺すゆえ、ぬしはぬしの思うままにすればよいだけのこと」
「無論だ。私が追うのは秀吉様のお姿のみ。私の求める光はあのお方だけが持ちうる物だ」
 なにより、と三成は続ける。「私は太陽は嫌いだ」
 それは重畳と笑う声を聞きながら、三成は立ち上がった。その背を追うように吉継が云う。
「われもじきに立とうぞ。ぬしが徳川に餌付けられぬうちに、な」
 三成はそれには答えなかった。そうでなくては困る、という思いと、同時に、そんなことがあってたまるか、という気持ちが湧いて、少々粗雑な仕種で襖戸を閉めた。

 家康は戦場で立ち尽くす。
 相も変らぬ姿だ、と三成はそれを眺め見る。かれのこの背をはじめて見つけてから、もうどれくらい経ったろう。あれ以来幾度となく、同じ戦を駆けてきた。そのたびにかれは起こり得ない夢を追い掛けて、嘆くでも吠えるでもなく、ただ忍ぶように佇んでいる。
 あれは決意を固めているのだ。
 ふと、三成の脳裏にそんな言葉が過ぎった。けれどそれがいったいなにを指すのか、或いはなにを表すのか、三成自身にも深くは分からない。きっと意味などないのだろう。家康があのようにして死者を弔うのと同様に、無駄な感傷に違いない。
 三成が声をかけるより先に、かれが云った。「『私は貴様のそういうところが嫌いだ』」
「……」
「だろう?」
 振り返り、にっと笑う。その顔はいつも通り、友好を絵に描いたように晒している。三成は一瞬ぎょっとして、しかしすぐさま顔をしかめた。「理解しているのならいい加減に学習しろ」
「あはは、すまない。お前が迎えに来てくれるから、甘えているのかもしれないなぁ」
「……二度と来てやるものか」
「そう云うなよ、冗談だ。というかお前、迎えに来てくれているつもりだったのか? ワシはてっきり、ここぞとばかりに罵りにやって来ているものだと……」
「ふん、罵言を吐くためだけに貴様などに近寄るものか。そうやって愚図な童のように間抜けた姿を晒す、その性根が気に入らん。それだけだ」
「……えーっと」
 つまりどういうことだ、というふうに家康は眉を下げる。理解の悪い男だ、と三成は思うが、しかしいまに始まった話ではないのでそれ以上の言葉を続けるのは止した。ただ、戻るぞ、とだけ云う。
 家康はそれに、ああ、と頷くが、しかしかれはその場を動こうとはしなかった。
 いつかのようにむくろに手を伸ばすことさえしない。その無意味さにようやく気が付いたかと、そう楽観するにはかれの眼差しはあまりに澱んで見えた。悔恨と呼ぶのさえ不似合いに思える、しいて云えば怒りに近い色を宿した目で家康はなにかを見つめていた。
「……なにが不満だ」
 と、三成は問う。
「貴様の手腕は見事なものだった。素早く的確に陣を奪い、兵の消耗も最低限で抑えられた。私が道を開き、貴様が敵将の首を取る――半兵衛様の描かれた策の通り、いや恐れながらご期待以上の働きを展観せしめたと、私はそう自負している。それのなにが気に入らない。貴様はなにを悔いる。なにを譴責し、なにを望む。その悲嘆はなんだ。私に分かるように説明しろ」
「……」
 こちらを見ないまま、家康はしばらく黙り込んでいた。それからようやく顔を上げて、丸い両目を緩く細める。三成を見つめるかれは微笑んでいた。見慣れた顔だ。誰かが陽光に例えるあの笑顔を浮かべ、家康は「そうだなあ」と砕けた声音で語る。
「お前に伝わるように、という要求は、少しむつかしいな。ワシ自身もハッキリと、いまの自分の心を理解出来てはいないんだ」
「? 己のことなのにか」
「ああ。誰もが自分のすべてを知って生きているわけではないさ」云って、家康は苦笑いを浮かべる。「ただ、そうだな、たしかに戦果は上々だったとワシも思う。お前の云う通り、半兵衛殿の期待を上回る結果を出せたと云って過言ではないだろう。話し合いに持ちかけられなかったことは残念だが、もとより今回はそういう命令だった。やれるだけのことはやったつもりだ、不満はない。だがそれでも、ワシは……」
「敵兵ともいつか手を取り合えたかもしれないという、くだんの妄言か。下らん。私が思うに、貴様は少し強欲がすぎるぞ。何故いま秀吉様のもとで充分な結果を出せていることに満足しない? 日の本すべての者と理解しあえる道があると、本気でそう考えているのか?」
「……お前は問いかけばかりだなぁ」妙にわざとらしい仕草で、かれはがっくりと肩を落としてみせた。「訊ねてきておいて間髪入れずに否定するなんて、ワシに失礼だとは思わんのか?」
「ん、たしかにそうだな。だが私に分かるように説明しろと、最初にそう云ったはずだ」
 わけのわからないことを云う貴様が悪い。三成がそう断言すると、家康はいよいよ途方にくれたというふうに眉尻を下げた。いちいち大袈裟なやつだ、と三成は思う。
「ワシがなにを云っても、お前にはきっと分からんだろうさ」
 嘆息混じりに家康が云う。諦めたような口調だが、しかし愉快そうに口元を緩めてもいる。なにが面白いのだか三成にはさっぱり分からないので、かれのその諦念もあながち安易な結論ではないのかもしれなかった。
 家康が太陽だというのなら、と三成はふいに考える。やはり自分とは相入れぬものなのだろう。三成は太陽が嫌いだし、空の真ん中で夏とも冬とも限らず照らし続けるそのさまは厚かましくてかなわない。その姿を雲に陰らせてくれればありがたいが、しかしどうしたってじきに現れるのだ。沈んでも沈んでも、と吉継は云った。必ず昇ってくるしぶとさが気に食わぬと。
 なるほどいかにも同感である。きっとこの男は、沈んでも、陰っても、いずれ再び空を目指すのだろう。幾度となく立ち尽くしても、必要とあればまたその拳をかざすように。繋ぎ得たかもしれない絆を自らの手で打ち破り、それを悔やみながらも笑うのだろう。「不満はない」と嘯く、その言葉に満たされぬなにかを込めながら。
 三成、とかれが呼ぶ。「ワシは信じているよ」
「……なんの話だ」
「さっき訊ねただろう? すべての人々と理解しあえる道があると、本気でそう信じているのか。その答えだ」
 ワシは信じている。
 家康はその言葉を繰り返し呟いて、にっこりと笑ってみせた。三成は、しかしそれを見やり、やはりこの男を陽とは思えないなと考える。己の心を理解しない者の言葉など信用ならないし、そうでなくとも、こんな夢物語を平然と口にする輩など胡散臭くて仕方がない。
「……貴様の語る理想など、私には欠片の興味もない」
「はは、ひどいなあ。そっちから訊いてきたくせに」
「知ったことか。だが、貴様がどんな夢を掲げようが貴様の勝手だ。好きにすれば良い。秀吉様の御為にその身を砕く覚悟さえあるのなら、私に説くべきことはなにもない」
「ワシにはあるぞ? まずお前は寝食をきっかり取るべきだし、その口の悪さも多少なりと改善しなくてはいつまでたっても嫌われ役だ。あ、そうやってすぐに顔をしかめるのもやめたほうが良いな。眉間の皺が取れなくなるぞ。よく食べよく寝てよく笑う、ひとの資本はそこにある。そうは思わんか」
「……」
 三成はそれらを無視して踵を返した。こんな男に声をかけた己が愚かであった。歩を進めると、待ってくれよなどと云いながら家康が背を追ってくる。三成は振り返らないが、しかし背後のかれがどのような顔をしているかは知っていた。
 家康は一度だけあのむくろの群れを再び見つめ、それらに別れを告げてから三成のあとを追う。辛気くさい未練に満ち満ちた眼差しを存分にそそぎ込み、それでもこちらの道を選んで歩き出すのだ。それでよい、と三成は考える。かれは豊臣に在り、豊臣のために力を奮う。その縁を自ら選びとって、ここまで歩んできたのだ。
 家康の理想を、かれの語る夢のような絆の世を、三成には到底理解できない。当人でさえその心の在処が分からぬと云うのだから無理もない。けれどかれは、いずれすべての人々と手を取り理解しあいたいという。ならばその「すべて」の内側に、秀吉や半兵衛や、三成自身が在ることは間違いなかった。
 だったら、理解出来ずとも構わない。幾度立ち尽くそうと、その背に声をかければかれは自分を追ってくる。足早に歩む三成のとなりにまで追い付いて、家康はまっすぐ前を向き歩き続ける。二度と振り返らないと決意するような力強い両の目が、けれどまたすぐさま、しょぼくれたあの背を戦場に晒すことを三成は知っている。
 その横顔を盗み見て、三成はやはり、こんな情けない男のどこを見てみな太陽とするのだろうかと、ひそかに首を傾げたのだった。

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