どばん、と変な破壊音がしたと思った瞬間にはもちろんもう手遅れで、まったく同じタイミングで訪れた風圧にオレが軽々吹き飛ばされて地面に頭をぶつけている間にマスターはたぶん死んだ。
まるで布切れかなにかのようにべろりと地に伏したバゼットの腹にはひと目で致命傷とわかる穴が開いているし、そもそもあの衝撃で叩きつけられて無事ですむわけがない。鉄の女といったところで実際に血潮が鉄で出来ているわけでもなし、骨も内臓もぶちまけられてなお生きていられるほどバゼットも超人ではないはずだった。オレは臓物にまみれてひしゃげてしまった麗しのマスターのそばへずるずると近寄って彼女の姿を確認する。
うん、上半身と下半身がほとんどくっついていないけど、とりあえず顔はきれいなままだ。前に一度頭を吹き飛ばされたとき、やっぱり美人の死体に顔がくっついていないのはあんまりだよなぁと思ったのでちょっと心配だったのだ。よきかなよきかな。オレはきょろきょろと周囲を見渡して敵サーヴァント――アーチャーとそのマスターがいなくなっているのを確認してから、五メートルほど向こうに吹っ飛んでしまっていた彼女の剣を拾ってきて胸に抱かせてやった。まあオレの弱小っぷりは戦うまでもなく見て取れたろうし、マスターが死んだ時点でじきに現界はできなくなるわけで、だったら見逃してもらった幸運にあやかって、屍に片足突っ込んでいるマスターを看取るくらいのことはしてやろうと思ったのだ。
そう。おもしろいことに、バゼットはまだちょっとだけ生きていた。耳を近づけてようやく聞き取れるほどか細い呼吸を、まだ、どうにか、続けていた。まったく生き汚いなぁ、もう。これだけ胴体分解されてまだがんばるなんて、ひょっとして体内に理想郷でも埋め込まれてんのかマスター?
「おーい、マスター」返事は期待せずに声をかけてみる。「えーと、なんだ。だいじょうぶか?」
我ながら気の利かない台詞である。でも死に掛けの人間に対して言ってやれることなんてなにもないし、そもそも今日は十月十一日。あと二時間も待てば自動的に一度死ぬのだから、まぁちょっと予定が早まっちゃったかな、という程度なのだ。完全な不意打ちで射殺されたのは少々癪かもしれないが、そのあたりはまた次回、対策を練れば良いだろう。
さて、もはや呼吸と表現するのもおこがましいくらい無理矢理めいた酸素補給を繰り返しているバゼットがいい加減見苦しくなってきたところで、ここはひとつ、下僕の義務としてひとおもいに殺してあげますか。
じゃじゃーん、といつもの短剣を取り出す。一度殺さないと決めた以上はルール違反なわけだが、なにごとも臨機応変にいきましょうねってことで許してやってホシイ。
「いや、別にわくわくなんかしてないですよ?」
言いわけ完了。ほんじゃま、ちゃかちゃか殺しますか。
扱いなれた短剣を振り下ろす。色々迷ったけれどやっぱり顔面をつぶすのだけは避けたいので、ポピュラーに心臓をひとつき。あー殺したなぁー、といういつもの手ごたえを噛みしめていると、死人特有の濁った目と視線が合った。くちびるが、少しだけ開く。バゼットはどこか安堵したように頬を緩め、
「――――アン、リ」
そう言って死んだ。
うむ。
絶命するマスターの最後のひとことに名を呼ばれるなんて、実にサーヴァント冥利に尽きるというものである。
「つーかそんな顔すんなよ、犯したくなるだろー」
もうちょっと身体の方が原形を留めていれば危なかったかもしれない。グッジョブアーチャー、マスターの下半身を砕いていてくれてありがとう。俺は死んでしまったバゼットへの黙祷と、ついでにどこぞへと消えてしまった敵サーヴァントに感謝の気持ちをこめて両手を合わせた。
そのままじっと立っていると、だんだんと肉体がふにゃふにゃしてくる。どこかくすぐったいような足元のほうから溶けてゆくような空気が身体に染みこんでくるような不思議な感覚。あ、早いな、と俺は思って閉じていた眼を少しだけ開けて地面に寝そべったバゼットの死体をじいと見つめた。どうやらマスターにはもうあまり魔力が残っていなかったらしい。俺が姿を保っていられるのももう限界のようだった。ううん、生き汚いわりにけち臭いなあ。どうせならもう少しだけこの四日目を堪能させてくれたって良いのに。
「一蓮托生。いや、死なばもろとも。道連れって感じだよなー」
ほんと、ワガママなお姫さまだこと。呟き、俺はバゼットの傍らに膝をついて彼女の胸の上にぽすんと頭を乗せた。血まみれの胸部はその膨らみを冷たいただの肉の塊にしてしまっていたけれど、それでもバゼットの血潮はまだほんの少し暖かく、俺はしあわせな気持ちになる。うん、これは良い。愛する女の胸の中で死ねるなんて最高じゃないか。
ひひ、と笑う。
「道連れくらい大歓迎。あんたが望むならどこへだって何度だって、繰り返してやるよ」
細胞が切り刻まれながら大気に四散する。俺は笑って、バゼットの後を追うように死んだ。
目覚めたのはもちろんいつもの館。視界が薄暗いのは室内の照明のせいだけでなく、眼球が生に対していまだ調整を続けているところだから。
その仄暗い空間の中でも俺は簡単にバゼットを見つけ、ゆっくりと起き上がりながら「おはようマスター」と言った。バゼットはまだ眠りに落ちていて、けれど俺の声がとどいたのか、ソファの上で何度か身じろぎをしてからふっと目を開ける。徐々に生を取り戻す瞳が揺れて、くちびるが少しだけ開く。バゼットはどこか安堵したように頬を緩めて言った。
「――アンリ」
生まれてきたマスターの最初のひとことに名を呼ばれるなんて、まったく、サーヴァント冥利に尽きるというものだ。